19.11.13

主著作より その5

「神の子」なる皇帝が「神」であり、「主(キュリオス)」なる皇帝が「神」であるように、神の子なるイエス・キリストは、恐らく容易に「神」として取り扱われるようなことも起きたことでありましょう。しかし、ロマにまで宣教したパウロは、そのような危険を察知して、神を「イエス・キリストの父」と呼び、唯一の神と説明し、主と呼びうるは唯【ただ】一人で、イエス・キリストこそ唯一の主であると論じたのであります(Ⅰコリント八・四ー六)。パウロは「主」も「神の子」もイエス・キリストに適用する際には、明らかに皇帝に適用される場合と峻別していたのであります。すなわち、パウロにおいては「神の子」も「主」も決して「神」ではないのであります。それ故、キリストは「神」であると主張する人々は、「神」を聖書的な「神」より、異教的な「神」、皇帝並な「神」に変えているわけであります。それは、もはやキリスト教ではないのであります。このような点からも、キリスト教の非異教化を徹底しなければならないと存じます。 (p291)
 

(注)管理人が、特に重要と思う文言をこの色マークしています。


新約聖書によれば、イエス・キリスト自ら「父」と呼んだ方以外に、いかなる「神」もあり得ないのでありまして、使徒達は、かかる「神」を「主イエス・キリストの父なる神」と呼んだのであります。これが、まさに新約聖書の教える唯一の「神」なのであります。信ずべきは「三位一体の神」ではなく、あくまでも「主イエス・キリストの父なる」神であります。  (p303)

「死」から「甦り」への中間時――福音無き屍時代――のもつ意義はあく迄も危険なドケチズムの否定であります。すなわち、神の子イエス・キリストは神であるという――ドケチズム的に神とする――ことを否定しているのであります。 (p321)

キリスト教は、神の子イエス・キリストの「甦り」を基として、人間の甦りを主張いたしますが、異教思想が語るような、いわゆる、霊魂不滅説を説くものではないのであります。「陰府に下り」の思想は、いわば霊魂不滅思想でありまして、復活思想に反します。これは聖書の中なる異教思想として、十字架の福音の光で除去すべき部分にぞくするものと思います。ここに非異教化の必要が認められるのであります。 (p321)

キリスト論としては、あくまでも聖書をして真に聖書たらしめている「十字架の福音」に中心をおき、その「十字架の福音」の光の下で、もう一度聖書を読み直し、まず、聖書自身の中心と周辺を、そして、それは当然聖書のキリスト論の中心と周辺でもありますが、その点を充分識別し、時には聖書の中の異教化したキリスト論をも見出して、これを非異教化し、「聖書本来の論理」としての「キリスト論」を捉えるべきであると信ずるのであります。そして、これらのことは「十字架の福音」に立ってのみ可能であると信ぜられます。  (p327~328)

ヨハネ黙示録によれば、終末時には、人類史を動かした悪魔的勢力が亡び、その勝利のために戦った神の使としての「天使」も、最後の証言とともに姿を消すようであります。そして、最後は救われた者(小羊、いのちの書に名のしるされている者)が神の都の民となるというのであります。すなわち、その「都」には神と神の子ら(その中には自らダビデの子孫を以て任ぜられる人なるイエスと、彼によって救われた人々)が住むというのであります。ここではもちろん、神の唯一性は変りませんが、ただ三位一体論の言う「聖霊の神」は見られません神も霊人も霊だからでありましょう。また「子なる神」もありません。キリスト自ら「ダビデの子孫」を以て任ぜらる「人」であって、たとえ「神の子」ではあっても決して「子なる神」ではないからであります。しかも「屠られた小羊」という表象で「都」の中央にいまして、いつまでも贖いの主たる事実を示しておられるのであります。しかも、その彼は「都のあかり」として輝いているのであります。要するにキリストなるイエスは、逆に「神」―「子なる神」―と呼ばれることはないのであります。 (p329)

聖書が語る「神の子」について、これを綜合的に判断致しますならば、先在し、受肉し、十字架に死んで甦り、昇天したと語られているのでありまして、そこには「時」に従っての出来事の順序が示されております。しかし、その中心は、先在よりも、後在よりも、むしろ、受肉して人となったという点にあるといえましょう。すなわち、「歴史の人」としてのイエス・キリストが主役を果していることは当然なことであります。しかし、先在後在が語られる以上、そしてまた「神の子」と呼ばれている以上、どうしても、ドケチズムの香りが漂うものでありまして、一歩誤れば、いつでも、異教の神となる危険性をもったものであります。すなわち「歴史の人」であるイエス・キリストの歴史性が少しでも弱められ、不確実なものとなる傾向を示しますと、直ちに先在から後在が容易に結びついてしまい、その間の歴史は、たちまち立ち消えとなり、一切がドラマ化されることになってしまい、ドケチズムに堕して福音を危くしてしまいます。福音を追求して信仰生活を続けてきました私には、これは実に重大な問題だと思われました。すなわち、イエス・キリストの歴史性を危くし、福音を危くするものは、早々とヨハネ文書が指摘したように、イエスの「肉体性」(歴史性)の否定であり、イエスをドケチズム的な意味で「神」となすことでありました。そして、このような観点から考えますに、イエス・キリストを「真の人、真の神」となし、或は三位一体の二位格の神となすことは、そのいずれも、ドケチズム的な危険を犯すものであるということを知るのであります。要するに、キリストも使徒達も教えず、語りもしなかった神観である「三一神論」が後になってから出現して、しかも重大な地位を占め、強力な伝承となったことは誠に遺憾なことだと思います。「神の子」イエスは自ら、神を霊にして不可視な唯一の「真の神」と教えられましたが、後世、教会がその「神の子」イエスの証言を退け、イエスを指して「あなたも神だ、第二位格の神だ」と告白するようになったことは、まさにキリストの悲劇であり、またキリスト教の悲劇でもあります。これをキリストの神観からすれば、まさに反逆的意見とこそいうべきものであります。なぜなら、イエス・キリストを神とすることは、多神教に堕し、彼の十字架の死をドラマ化し、彼の真の使命を破壊し、福音を危くするからであります。 (p330~331)

十字架の福音を正しく理解する為には、殉教死と贖罪死との区別を徹底的に理解する必要があると思います。キリストの十字架の死は、たしかに、殉教の死とも犠牲の死ともみえるものがあります。しかし、もし、キリストの十字架の死をそのようなものと考えますならば、その後、キリストを信じて十字架の死を遂げた多くの殉教者達の死と全く同じように理解され、唯一の十字架は消えてしまいます。新約聖書が語るイエス・キリストの死は、決して殉教の死、犠性の死ではなく、あくまでも「贖罪の死」でありました。それが福音なのであります。 (p332)

私は初代キリスト教徒の躓きを取り除こうとしたルカやヨハネのキリスト論的記述よりも、躓きに満ちた言葉をそのまま保存したマタイ、マルコの方に、より史実性を認め、そこにこそ殉教死ならざる贖罪死の真相が窺えるものと信ずるのであります。 (p333)

ロマで記されたというマルコ伝の告げるイエス・キリストの終末は、(中略)神を信じた神の子の最後とは到底思われないものがありました。たしかにマタイ、マルコの記したこの叫びは、ルカ、ヨハネが除去した程に、伝道上には大きな障害をなくしたものと考えられます。日本においても、いさぎよい死を称賛する武士の子らは、この一言に躓いて、信仰に入り得なかったということも、決して少くなかったのであります。しかし、躓きは来らざるを得ずと語られ(マタイ一八・七)キリストが躓きの石(ロマ九・三二)と語られているように、この言葉は、たとえ、ルカやヨハネによって取除かれ、他の言葉をもって置きかえられていても、断じて失われてはならない言葉でありました。なぜなら「神の子」の言葉には時として、人間の常識を越えるものがあったとしても、それは、むしろ当然だからであります。しかも、そのような言葉にこそ、神の子の実存が垣間見られるからであります。(中略)殉教死ならざる贖罪死を遂げるという、大いなる事件の身に迫りつつあったイエス・キリストには、それ迄のように、周囲の人々を顧みるどころではなく、ただ、ひたすら、神と彼との不思議な関わり合いに思いを結集し続けねばならなかったのでありましょう。そして、十字架にかかり、万民の罪を贖うという「贖罪死」を遂げんとする、その瞬間に、イエスは今までの沈黙を破って、ほとばしり出るが如くに一つの謎の言葉を叫ばれたのであります。それは、贖罪者たるイエス・キリストの贖罪瞬間の心境、すなわち、贖罪時の実存状況を示す真実の叫びであったのでありましょう。すなわち、神の子であり、仲保者であり、救い主であるイエス・キリストとても、受肉した「歴史の人」であり、人の子である以上、その双肩に担い難い「贖いの死」の重圧に、思わず口をついて洩れた叫びがこの言葉であって、まさにこの言葉の中にこそ、彼の死の瞬間の実存心境が、そして「贖罪死」の堪えがたいきびしさが示めされているものではありますまいか。――たとえ、その叫びが、詩篇の中に記されていた言葉そのままの形であったーーとしても。私は十字架の神学を語る前に、十字架の事実としてマタイ、マルコの書き残したこの資料に注目し、この資料の中に贖罪の秘密を洞察すべきであると思うのであります。すなわち、この言葉にこそ、贖罪の使命の重さに耐えかねた歴史の人なる「神の子」の魂の悲鳴、魂の悲嘆と苦悶とを発見せしめられるからであります。ここにおいて私は、贖罪とは、まさに神と「神の子」との交わりを断ち切るほどのきびしさを伴う事実であったことを示されるのであります。あるいは、そのような断絶の為される内実にはさらに深くきびしいものがあり、人の想像介入を許さぬものがあるのでありましょう。 (p334~335)

ルカは、キリストの死も、ステパノの死も、信仰の英雄の死、いわば聖者の死として描いているように思われるのであります。ただステパノの場合は、呼びかける対象が、死より甦れる天上の「活ける主」であり、キリストにおいては「神」であるという点だけがちがっているのであります。(中略)私は、ルカやヨハネの記したイエスの「十字架の死」の記述より、マルコ、マタイによる躓きに満ちた記述の方に、より多くの歴史性を認めざるを得ないのであります。なぜなら、イエス・キリストの死を、ステパノの殉教の死と同様に考えることができないからであります。すなわち、私はステパノの殉教の死とは異なる贖罪の死をマタイとマルコの記述の中に見出し得ると信ずるのであります。 (p335~336)

神の子イエスはステパノのように天なる神の栄光を見上げることもなかったのであります。(中略)神の栄光どころではありません。神の御姿が全く見失われ、常日頃、父よとのみ呼びかけていた神に対しても、死を前にした今、その呼びかけさえも許されず、僅かに「わが神」とのみしかよべなかったという神の子の不思議な心境に、限りなく注目せしめられるのであります。その理由がいかなるにせよ、人間的には絶望の死を遂げたとみられる十字架上の死にこそ「贖いの死」を立派に死に遂げたイエス・キリストの実存が、ひそかに垣間見られるのではありますまいか。(中略)ステパノの死はまさに殉教の死の典型的なものでありました。そして、これこそ殉教の死の特徴なのであります。然るに神の子、イエスの死は、このような殉教の死とは全く違っていたのであります。(中略)ここではイエスは人に棄てられ、人に殺されるばかりでなく、神にさえも見棄てられるというのでありまして、何処にも逃れる道がなく「贖いの死」という「死」を遂げる神の子の実存と、これを「贖いの死」として認め許す神ご自身の実存との火花の散る対決、交渉の一端が、奇しくもイエスの側の一つの叫びによって爆発し、示されたともいえるのではありますまいか。そして、神との絶縁のもとに為し遂げられた、この「贖罪死」の瞬間には――それゆえーー三位一体の信条の介入する余地がなかったということも明白なことであります。私は「贖いの死」という史上「唯一の死」を死んだ「神の子」の実存状況を垣間見ることの許されるこの叫びに、人の口から叫ばれた最大な「戦慄すべき秘義」とも言うべきヌミネースな叫びを認め、恐れとおののきとを禁じ得ないのであります。 私共は四福音書において、イエスの説教や、イエスの喜び、怒り、行動の中に多くのイエスの実存に触れることが出来るのであります。しかし、私共はこの際、私共の実存に触れるイエスの実存を遠く眺めるばかりでなく、時にはイエス・キリストご自身の実存にわけ入るということが、真にキリストを信じキリストを理解する道であると思うのであります。私のキリスト論の願いも、このような点にあるのでありまして、ただ遠く十字架を眺めて瞑想する十字架の神学より、十字架の事実そのものに肉迫することが必要であると信ずるのであります。私共は神にさえも見棄てられて、「贖いの死」を死に遂げられたキリストの実存に、深き畏れと感謝とをもって迫ることの努力なしには、救の恩恵を知り得ないのではないかと思われるのであります。贖罪の死を示すイエス・キリストの十字架の死は、パウロにとっては第二の創造と関わるものでありました。少なくもパウロは十字架の下において、新たな被造物(救われた者)としての彼自身を体験していたのであります。もし、このように十字架の死が第二の創造をもたらす力でありますならば、キリストの十字架の死こそは、万有創造以来の大事件として、理解されなければならないでありましょう。「贖罪死」の重さは、まさに、この点にあるのであります。(中略)このような神とのきびしい断絶の場においてなされた贖いの出来事を、福音として信じるものにとっては、少なくも「贖罪死」の瞬間においては、三位一体の信条の主張するような神と神の子の一体と、その連続関係の思想は破壊しつくされているものといわざるを得ないのであります。私は、神の子の贖罪死を、信仰的英雄や聖者の殉教死と混同しようとする思想や神学から峻別し、福音の真実に徹するよう努力すべきであると信じます。 (p336~339)

キリストによる啓示を問題とする時に、もし別に聖霊による啓示が取り上げられますならば、啓示の二本立てが認められることにならないものでしょうか。使徒行伝の聖霊の降った記事(二・二ー四)から考えますに、聖霊と信仰者との結びつきは直接的で仲保者がないために、もし聖霊を聖霊の神と表現致しますなら、この聖霊の神は、丁度異教における神と人との関係のように無媒介性に人と結合することとなって、その点一寸危い面が出てはこないでしょうか。私には、聖霊とキリストとの関係がなかなかむつかしく思われます。(中略)キリストと聖霊との関係がなかなか理解し難く思われます。(中略)聖霊とキリストとの関係が多様であって理解がむつかしく、これらに比して、ペンテコステのもつ意義がどの程度のものであるかに迷います。  (p341)

初代のキリスト者はイエスをナザレ人と呼び、神の僕と呼び「神の子」と呼んでも、少しも「神」とか「子なる神」とは呼ばなかったように思われます。しかし、神の右にあげられたと証言する以上は、神的存在と化したものと認めており、ステパノの如く(徒七章五九-六〇)また、パウロの如く(Ⅱコリント一二・八)祈りの対象ともなったようでありますが、それでも彼を「神」と呼ぶためには、唯一神の伝統がそれを許さなかったのではないかと思います。(中略)黙示録では天使が活躍し、(中略)まさに、神的存在――いわば、神性をもった存在でありますが、しかし、そのことで直ちに神と呼ばれていないことも重要なことと存じます。それは、キリストの神性を信ずることをもって、直ちに飛躍的にキリストを「神」――「子なる神」とすることの決して聖書的ではないことを示しているものと思われるからであります。 (p342~343)

パウロの回心第一声が「イエスこそ神の子である」(九・二〇)、イエスはキリストである(九・二二)ということで――対象がユダヤ人のせいか、イエスが「神」に代り得る人格であるかのような発言を致してはおらないようであります。(中略)パウロはキリストを「神が人になった人格」とか、「ナザレのイエスのままで神だ」とか、甦ってから神になったとかと語ったことはなく、またキリストについては決して「神か人か」といった証言の危険を犯すことなく常に神の子で押し通し、異邦人にはメシヤより理解しやすい、キュリオスをもって説明したもののように思われます。しかし、そのような説明の中にも、とくに、異邦においては、将来キリストの神化するきざしの萌え出る気配は見られるところであります。しかし新約聖書の時代までは、そのようなことは起きなかったと思われます。 (p343~344)

聖霊と言えば、それは実体的なあるものなのでしょうか。どうもよくわかりません。 (p344)

実は、私は長い間「人が神になる」という思想が異教思想であると同様に、「神が人となる」という思想もまた異教思想であると思ってきました。キリストについてはあくまでも「神の子の受肉者と証言しているのが聖書証言と信じ、「神と人」「神と被造物」との間に「神の子」と呼ばれる仲保者が存在し、創造――救済ーー終末を貫き仲保者たる「神の子」が、ある大いなる使命を果していることが聖書の主題と思われ、聖書では神と人とが直接に結合しないのが特徴であると思っております。(中略)もし、キリストを「神」とすれば、受肉も死も甦りも――意味を失うように思われます。なお使徒行伝では「キリストが死人の中から甦った」と言いますが、――同じ著者はルカ伝で甦った主の体にがあって食事さえもしたといっており――、またルカは使徒行伝では昇天して神の右に座しているというのですが、をもって神の右にいますとでもいうのでしょうか、なかなか理解し難くあります。 (p344~345)

私自身キリスト論を取り上げても、聖霊論との関わりにふれなかったのは、聖霊論が一歩誤れば異教的なものになりやすいとおそれたためであります(仲保者なき神が現われる危険がありますため)。また私には、人間に関して語られる霊の問題、さらに高い意味で語られる聖霊という霊の問題は、聖書に即してすら統一的理解に達し難いむつかしい問題と思われます。 (p345)

十年間、受肉のキリスト――それ故十字架に死んだキリスト、その死が「贖いの死」という「唯一の死」であったことなどを中心に学び続け、キリストは、「受肉の神の子」でも「受肉の神」ではないと考えて、福音を理解せんと努力して参りました。そこに私のキリスト論についての願いと祈りがあった訳でございます。 (p345~346)

ヤコブ書は――パウロ的福音を追求する人々には好まれ難い書翰であると存じます。しかし、その書が新約聖書の一部をなしていることは必ずやそれだけの意義や使命をもつものと考えざるを得ません。(中略)ヤコブは信仰と行為との関係についてアクセントを行為に置き、信仰をやや従属的に見ようとする意図をもっていることを認めざるを得ないと存じます。そしてヤコブ書では旧約的表現にひきずられて新約の香りが弱いような気がしてなりません。一・一によれば著者は一応十字架の光を浴びているのでありましょうが、十字架をことさら説かないような点に問題性を感じます。(中略)福音は、本来、人間の側に強さが出ては危いと思われます。人間が弱く、神の強い所に福音があると思いますが、ヤコブ書には「行いによって信仰をみせてあげよう」(二・一八)といった勇ましい自信の程が強く、そこにはいわゆる、福音的破れがないように思われます。著者が徒一五・一三――以下に発言しております主の兄弟ヤコブでありますなら――どうもあまり福音的な人と思えませんから、この程度のことを書いたのかも知れないーーなどと思わしめられますが!(中略)ヤコブ書のもつ性格も前福音的なものと理解し、ユダヤ教からキリスト教への、ごく初期の渡し舟のようなものと理解してもよいのでしょうか(一寸言いすぎかも知れませんが)。(中略)ヤコブ書で一寸気になりますのは「霊魂のないからだ」(二・二六)とか、神が「わたしたちの中に住まわせた」(四・五)といった言葉の中に多少でも霊肉二元的な香りが出てきはしないかということであります。(中略)ヤコブ書の終りにみられるの内容が旧約的意味(神)を持っているものが多いように思われますが、神のとキリストのが、ことわりなく記されているのに一寸不思議に感ぜしめられます。それからまた「義人の祈りに力がある」とか、迷いの道から引き戻すことを、その霊を死から救うといった表現の中には、キリストの十字架の影が見えないように思われます。そして、ヤコブ書にはいわゆる、キリスト論があるのかどうか、一・一以外にはキリスト証言には力が入っていないように思われます。端的に言って、ヤコブ書は福音前的性格を持ち、ユダヤ教からキリスト教への架け橋的性格をもっていて、ユダヤ人をしてキリスト教に近接せしめる使命をもったものとの印象を深く致します(中略)ヤコブ書にはキリスト論が未熟なのか、キリスト論というべきものがないのか、一寸判断に苦しみます。  (p346~349)

聖書的な意味で霊とか肉とかを理解せずに、異教世界に常識化されているような分離し得る二元的なものと考えますならば、霊が肉より離れ、独自に生きることもあるわけで、もはや復活を福音としてきびしく説く理由がなくなるものと存じます(もちろん、比喩的意味や終末的意味でイエスの物語の中にも似た思想が出てきますが)。聖書的には霊魂不滅という思想が人間にはなく、ただ福音の力で初穂のキリストに続き、死人の中から甦って、そして始めて永遠の生命が与えられるということのほうが聖書的ではないかと思います。もちろん現在終末の意味でも、そのスタイルには変りなく、やはり死して甦ることが、永遠の生命に関わることとして語られていると存じますが、このような点に問題を感じております。 (p350~351)


『十字架の死――甦り』が福音であるためには神の子の受肉が徹底的に語られて、イエス・キリストが真の人であることが中心でなければならないと存じます。(中略)神が死ぬとか、神が死んで甦るというのはどう見ても異教的思想と思われますし、神が人となるということも異教思想と思われます。やはり受肉したのが「神」ではなく、神と等しい「神の子」であったということが聖書的であり、それがキリスト論の前提となり、福音の前提となるものと思われます。そのために「神の子」とか仲保者とかと語られておりますような、いわば、神ならざる、しかし、神に等しい「神の子」という人格に、聖書の謎がひそんでいるのではなかろうかと考えられ、それをひそかに追い求めているのが私のキリスト論の願いでございます。
追伸
人における「」の問題、さらに高い聖霊という霊の問題など私にはなかなかわからないことでございます。 (p351~352)


愛といっても、正義と表現しても、人の場合にはそれには罪の香りがつきまとっていて、神の愛や正義と同様に考えてはならないというように考えまして、ことさらにそのような点を主張したことがございます。しかし、それがキリストの場合はどうなるかに問題を覚えました。ヨハネ伝においてはキリストが神ご自身のもつ職能を与えられていて神と等しく敬わるべきであるということでありますから(五章)神に用いられるすべての事柄がキリストにも、そのまま、適用されてしかるべきでありましょう。また、その意味から神について語られている〇〇(一・八)が天上のキリストに用いられてもよいのであろう(二二・一三)と考えられます。そして、また、神と等しく栄光・讃美をうけておられることも理解されます。しかし、黙示録において昇天したキリストを小羊と多く呼んでいるのは――小羊といった呼称が聖書では「神」に適用されたことのないことから、しかも、その小羊が屠られた小羊と語られていることから――当然黙示録のキリストが「神」または「子なる神」として取り扱われていないように思われますが、この点はいかがなものでしょうか。小羊とは、地上の十字架の死を記念して語られている呼称と言えるかも知れませんが、天上においても地上の呼び名である「イエス」あるいは「ダビデの子孫」「ユダ族のしし」が用いられているのは、受肉の出来事が仮の出来事でなく、永遠に関わる、そして永遠に記念される出来事を意味しているものというべきかと存じます。そうしますと、イエスの「受肉した歴史の人」であることが極めて重大な意味をもつものと考えられます。 (p352~353)

(注)〇〇は、ギリシャ語の「アルファ」と「オーメガ」の二文字。


黙示録のキリストは聖なる御使以上の存在で、全く神的存在であります。すなわち、神性者でありますが、小羊と呼ばれたり、ダビデの子孫と呼ばれたり、イエスと呼ばれたりしていることから「神」そのものとして取り扱われておらないように見えます。むしろ、地上のときの「人」のままで神性者として取り扱われているように見えます。ここでも神はやはり他者で、人の目には見えない、ただ光のみが見える存在で唯一であるように思われます。確かに天上のイエスは、神的存在でありながら彼自身を、わが神(三・一二)わが父(三・五)と呼んで「神」に対していることから――唯一の神のいます世界ではーー彼自身が神とは呼ばれてはならないということ、すなわち彼はあくまでも「神の子」(二・一八)と呼ばるべきだというように理解されますがいかがでしょうか。五章の終りでは、神と同時に小羊もまた礼拝されているようにみえますが、ステファヌスの三版を用いている永井訳では「神に」対して平伏しているように記されてあり、礼拝の対象が「神」らしく思われます。他の場所をみますと(四・一〇、二・一、一六、一四・七、二二・三、九)黙示録の記された時代までは、小羊を単独に礼拝するといったキリスト礼拝が、まだ、なされていなかったのではないかと想像されますがいかがなものでしょうか。なぜならば、神のみを拝せよ(一九・一〇、二二・九)が強い主張とみえるからであります。 (p354~355)

(注)小田切氏の注で、「神のみを拝せよ」は口語訳に従ってのことで(本文では「ただ神だけを拝しなさい。」)、原典では「神を拝せよ」となっていることに注目すべきのこと。


黙示録のドラマ的位置を考慮致しますならば、神の御座の正面に小羊がいますわけでありますから(五・二八、七・一七)神に礼拝を捧げるにしましても、どうしても位置からは小羊を通し貫いてなされなければならないと存じます。この際、小羊の背後にいます神を考慮せずに、神の御座の前の小羊だけに礼拝がなされたか、そして、祈さえなされたか、は問題だと存じます。なお、神への祈も、キリストの名によって捧げられるという習慣のでてきたことからも、天上のキリストは仲保者の性格を失ってはいないと存じます。献げられる「祈」すらもキリストに止まるより、一見キリストに止まるように見えても、結局は神に執り成されるものではないでしょうか、それとも、神より一切の権を授けられた単独者として祈とか礼拝の対象でもあるのでしょうか。黙示録を見ても、キリストを「神の子」とか「ユダ族のしし」とか「ダビデの若枝」とか、小羊とかと表現すること以上に、「神」と表現することは新約聖書の時代にはなかったように思われますが如何がなものでしょうか。 (p355~356)

(注)「五・二八」の「二八」は誤記で、五章なら「八」節か「一三」 
   節ではないかと思われる。


私としましては、イエス・キリストの死と甦りが福音であるためには、イエス・キリストが受肉の人であって、受肉の神でないことが語られる必要があり(それが共観福音書のもつ意味であると存じますが)同時に、その死が贖いの死で将来天で小羊と呼ばるべきものであることが理解されませんと、福音を危くするものと存じます。どうしても「神の子」と呼ばれる神と等しい存在が、仲保者として神と人(被造物)との間に立つことが福音の前提であると考えさせられます。聖書的には、ただ「人が神になる」という思想ばかりでなく、「神が人になる」という思想も異教的であると考えられます。人となったのは、たとえ、いかに神に似ていても神ではなく「神の子」と語られる所に福音の基礎があるように思われてしかたがありません。 (p357~358)

人における霊の問題、さらには高度の聖霊の問題は私にはなかなかわからないことであります。 (p358)

キリスト教をして、真にキリスト教たらしめているものは、ケーリュグマであります。すなわち、キリストなるイエスの十字架の「死」と「甦り」であります。それ故、ケーリュグマに立って考えますなら、キリスト教とは広い意味における贖罪宗教(十字架の福音)として受けとめてもよいでありましょう。そして、もし、キリスト教が贖罪宗教でありますなら、当然イエス・キリストが「人」でなくしては成立しない宗教と言わねばなりません。イエス・キリストがあくまでも「歴史的人格」であるという、その歴史性が弱められますと、ドケチズムの襲うところとなって、福音は破れてしまいます。(中略)「十字架の」が真に「十字架の福音」となりますのは、甦りの出来事によるのであります。(中略)イエスが死んでも、屍体となって甦らぬ間は――いわば、それは、いまだ、福音形成がなされてはおらない時でありますから――その期間に死んだ肉体から「霊」が脱出して、陰府【よみ】宣教という福音的実践活動をなしたということは、当然誤りでありましょう。なにしろ、それはまだ福音が生まれていないときのことでありますから。その意味で、私はⅠペテロ三・一八――以下の、いわゆる使徒信条の「陰府に下り」は、キリスト教的な告白と認めることが出来ません。これは、当然取り除くべきだと考えます。このような福音にそむく信条はキリスト論が――後期ユダヤ教にも見られる――異教的二元論人間観と結合したためでありまして、これを排除しなければ、福音として語られる「甦り」が徹底しないと思います。このような点に、キリスト教には広い範囲での非異教化を必要とするものがあると信ぜられます。要するに私は「陰府に下り」を考えただけでも、使徒信条唱和の習慣について一考すべきものがあると考えます。 (p360~361)

福音を正しく理解する目的で、「キリスト論」と取り組み十五年になりました。それなのに、まだ、まだ「キリスト論」の道は遥けく、遠く、私の地上生涯のはてる迄続くことでありましょう。(中略)「キリスト論」を携えて生きてきました十五年の年月は、過去四十年余の信仰生活の中で、最も心に波瀾の多かった年月でありました。しかし、この間、聖書に対し、情熱【パトス】 をもって相対することの出来ましたことは確かに幸なことでありました。楽しく嬉しくて眠れぬ夜もあった程に聖書を楽しむことも体験出来ました。そして、そのような日々はたしかに、生きていることの実感を高めました。 (p369)

私はこの著書でいつぱしの聖書通のようなことを申し述べておりますが、なにしろ、まだまだ聖書学の一年生に過ぎません。あるいは、一年生とさえ言えないかも知れません。それ故、この著書の中には多くの見当違いがあったり、誤解があったり、時には奇抜な聖書釈義が飛び出したりしてバラエティに富むことが面白いかも知れません。私としましては、平信徒が自由な心で聖書を楽しみ、聖書について自由に大胆に論じ、かつ問うことの出来るような気風を、日本キリスト教界に育てて頂きたいと望んでおります。いま、省みて多くのことに問題を覚えます。私は「十字架の福音」といって、それがわかりきったこととして論じておりますが、「十字架の福音」は人それぞれの実存論的受けとり方もあり、一定の型に定めがたいものであります。もちろんパウロの「十字架の福音」を論じながら、さらに幾人かの先人の議論も参照して、私は私なりに私自身の「十字架の福音」観を――一章を設けてでも――論ずべきであったかと思います。しかし、この著書自身が私の「十字架の福音」観から生まれ出たものでありますから、随所に私の「十字架の福音」観がにじみ出ていると思います。 (p369~370)





6.11.13

主著作より その4

(・・・続き『キリスト論・ドイツの旅』より)



問題は、キリストを「神」とするか、「人」とするか、といったような単純な議論ではありません。ケーリュグマが成立するか、消滅するか、十字架の福音が生きるか消えるか、キリスト・イエスの語ったみ言葉が徹底的に取り上げられるか否か、という厳しい問題となるわけであります。(中略)神の恩恵の歴史、啓示の歴史には繰り返しはありません。「神の子」ご自身に関わる時間的な経過、すなわち、先在、受肉、死、甦えり、昇天、再臨という聖書の語る「神の子」の時期にもまた、繰り返しはないのであります。すなわち、それは、一度去れば再び帰ることの許されない「神の子」の「」なのであります。私共は、そのような「神の子」の「時」のもつ深い意味をさぐらねばなりません。神の救済の歴史の中にハイルス・ゲシェーエン(救済事件)として示された、御子の受肉と、御子の「贖いの死」と甦えり、というこの大いなる神の恩恵の秘密を学び、理解する為には私共は心して聖書の御子について学ばなければならないと思います。 (p126~127)


天皇が亡くなられた時には「神」になった、「神去りました」といい、神霊的存在としてゴット(神)的性格をもつにいたったことは当然なことと存じます。明治天皇も亡くなられて後に、明治神宮に神として祭られたものでありまして、死後に神格化されるにいたったものであります。要するに、実感的には、生ける天皇は「上」的性格をもち、死せる天皇は「神」的性格をもつものとして取り扱われていたといえましょう。 (p128)


ヨハネ伝のロゴス、あるいはコロサイ書、ヘブル書にみられる「子」――「神の子」――には、被造物という思想はないように思われます。このような新約聖書証言からは、ニケア、カルケドンが反対したあの被造物は出てこないと思います。むしろ創造の側に立ちつつも「神」と呼ばれずに、「子」とか「ロゴス」とかと呼ばれている、というそのような人格である点に限りなく注目し、その意味するところをテキストに従って追求すべきであると思います。 (p129~130)


パウロの如きは、しばしば「死人の中から甦えらせられた」という表現を用いて、活けるキリストを説明しており、黙示録においても屠らた小羊として、また、かつて死んだことがあると明記し、常に十字架の出来事を付随せしめ語っていることに注目すべきであります。それゆえ、もし、今「活きているキリスト」に重点を置くならば、一種の神秘主義的傾向に堕し――過去が軽くなり――「贖いの死」を遂げたという歴史的事件(福音)が弱められる危険が出てまいります。そして、そこには必然にドケティズムへの傾向が現れてくるものと考えられるのであります。要するに、霊なる「活けるキリスト」も――あくまでも、十字架の死を死に、死人となって墓に下って、甦えらしめられたという、この歴史の事実が常に付加して語られる――「活けるキリスト」であってこそ意味があるのでありまして、(中略)キリスト教は、ほんらい、歴史に執着した宗教でありまして、キリストについても歴史と関わりなくなるか、あるいは、その歴史性が弱められるようなことにでもなれば、キリストは歴史から浮き上った単なる「新しい神」となって、ドケティズム化することになります。したがって、キリストの歴史的な面はいい過ぎる位に語って、始めてケーリュグマが正しく成立するものといえましょう。私が、キリストの歴史性を主張致しますのは、それが、初代キリスト教徒のケーリュグマ(福音)成立上欠くべからざるものであったからであります。 (p130~131)


三位一体はキリストご自身の教説から導き出すことも、パウロの思想から導き出すこともむつかしいものであります。(中略)神――仲保者ーー人という関係無しには贖罪が成立しないのであります。三位一体説の如く、仲保者を神として、神の唯一性を破って、仲保者のもつ特殊な地位を危くすべきではありません。また、ユニテリアンの主張するように、ただの人として十字架の死を殉教の死となすのであれば、そこには「贖罪」が成立致しません。「贖罪」は、聖書が語るように、イエス・キリストを「神の子」(仲保者)と考える以外には成立しないのであります。聖書の中心――キリストの中心ーーは、神に対しては「子」であり、人に対しては「贖いの主」であるところの人格、すなわち、神と人との仲保者なしには考えられません。イエス・キリストは人であるが、「天より来た受肉者」としての「人」である点に、啓示が人間歴史に介入していることを知るのであります。それが福音の条件であります。三位一体の思想からは死んで屍となった三日間でさえも、神との一体性を主張しなければならないでありましょう。屍と一体の神は聖書の神観とはいえません。また、無理に一体性を主張しますならば、死が死とならず、屍も真の屍とならず、「贖いの死」といわれるものが芝居化するという危険を生じ、福音を危くすることになりましょう。三位一体は四世紀にとっては必要信条であったかもしれませんが、それはキリスト教本来の思想に反し、ギリシャ化したものと考えます。 (p131~132)


啓示には、「啓示されるもの(神)」と「啓示するもの(神の子・キリスト)」と、その「啓示を受けるもの(人)」とが設定されているといえましょう。聖書の神は人間の目に見えず、人間理性の捉えることのできない人格でありますから、啓示を必要とします。その啓示の極致は、神と等しい人格――「神の子」と呼ばれる人格――が受肉することによって成就されました。これが福音の基本的条件であります。そして、これが聖書の主張する「神の子」イエス・キリストによる「神啓示」なのであります。 (p132)


要するに、いかなる意味においても「歴史の人」でなくては、贖いの死は遂げられないのであります。キリストを神の座につけるならば、必ず、受肉の出来事が弱められ、ひいては贖いの死の厳しさが失われてしまいます。ここに、私がイエス・キリストを一〇〇%の受肉者【ひと】と表現する理由があるのであります。そして、一〇〇%の死であってこそ、「神」の前に「人」の罪を贖うという「贖いの死」の厳しさが出てくるものと考えられるのであります。 (p133)


キリストご自身の釈義からすれば「父と一つである」ということは「神の子」であるということだというのであります(ヨハネ伝一〇・三六)。それゆえ、私はその通りに信じたのであります。「神の子」は父である「唯一の神」の唯一性を危うくすることになってはならないと思います。(中略)キリスト以外に神を全く啓示しうる者がないとの意味では、神がキリストの中にあったといわれるのでありましょう。しかし、それも、彼が唯一の啓示者であるとの意味でありまして、決して、彼が「神」自身であることを意味するものではありません。 (p134)


聖書の神観からは神ご自身が天から降【くだ】って、人となるという思想はないと思います。すなわち、神が受肉するとか、受肉した神とか、「肉体をもった神」といった思想は、聖書の思想ではないと思います。(中略)イエス・キリストが天からきたという思想は、明らかにロゴスの受肉を意味することであり、天にいました「御子」が、人として、歴史的生誕をなしたことを意味するものであります。すなわち、その意味では、聖書は彼がただ、歴史の中から生まれ出た存在ではなく、天に起源をもつ存在として、主張しているのであります。しかし、天よりきたことをもって「神」というべきではなく、聖書の示す通りに「神の子」と信じて、立派に筋が通るのであります。(中略)キリストの先在を聖書的に信ずるならば、その先在時は彼が神的人格であったことを認めることは当然であります。聖書はかかる神的人格(神の子)の受肉を語って、救の出来事(ケーリュグマ)を告げるものでありまして、決して神ご自身の受肉を語っているのではありません。あくまでも、歴史の人イエス・キリストに、キリストの出来事(福音)の基盤があるということを、限りなく主張しなければならないと思います。(p134~135)


要するに、私の関心はあくまでもケーリュグマの秘義を追求する点にあるのでありまして、そのために、キリストご自身の自己証言、初代キリスト教徒の残したキリスト証言を、聖書テキストの中に捉えて、福音の秘密に徹せんと願っているのであります。それゆえ「神なるキリスト」ではなく、「神の子なるキリスト」の中にこそ聖書の秘密があり、神――人――創造――救済――終末に関わる、重大な真理がすべて、神の子、イエス・キリストの中にひそむものと信ずるのであります。ここに聖書テキストに忠実に第四世紀の神学を越えて進もうとする私の意図が存するのであります。 (p135)


私は日本においては一人の平信徒・伝道者として折々伝道上の証詞を【あかし】致しますが、たまたま、YMCA目的条文の中に、あたかも、キリスト教というのは、イエス・キリストを神とする宗教であるといったような意味の条文を発見し、非常に問題を感じたのであります。日本の古い習慣から致しますと、優れた天皇とか英雄、将軍、あるいは聖人らは、死んだ後には、しばしば「神」として尊敬され、神社に祭られるものであります。それゆえ、もし歴史の人イエス・キリストを、あるいは甦ったのちのイエス・キリストを、「神」であると申しますと、日本的習慣からは、「活き神様」の思想に近いものと考えられたり、(中略)このようなことは日本の宣教上からは大変問題であるかと存じます。しかし、ここに卒直に申し上げますなら、キリスト教とは、果して、イエス・キリストを「真の神」となす宗教なのでしょうか。そしてキリスト教的神観とは、このようなものでよいのでしょうかということであります。 (p143)


パウロがイエスを「主」「キリスト」「神の子」と呼んでも、決して「神」と呼ばなかったわけは、イエス自身が「わが父」と呼んだ方こそ「神」であり、唯一の「神」であることを、凡てのキリスト教徒がよく知っていたからであります。この「主イエス・キリストの父なる神」という呼びかけの中に、キリストと神との関係が語られており、ここに、キリスト論の原型があったものといえましょう。しかもなお、ここに、イエス・キリストの名を媒介としてのみ呼びかけうる「神」のいますことが語られており、イエス・キリストの仲保者性が示されているものといえましょう。 (p146)


ケーリュグマ形成、福音形成は、あくまでも死と甦りであります。「死」はあくまでも、彼が人であって、神でないことを示しており、甦りは――それ故に――驚きとなり――神の大能のみの業となるのであります。しかも、一般に福音といえば「十字架の福音」といわれますように「甦り」よりも「死」に重さがかけられているのであります。それゆえ、甦った以上は、悲惨な「死」はもう忘れてしまった方がよい、というような、すなわち、過去の物語となってしまってもよいといったような思想や感情の出現を憂慮し、甦りを語る時には常にまず、死んだということを、ことさら付加し――死人の中から甦った――というように、敢て主張したものと思われるのであります。実は、ここに、福音の特質があるのではありますまいか。 (p147)


パウロがダマスコ途上において出会った復活のイエス・キリストは、パウロに対し「われはナザレ人イエスである」(徒二二・八)と答えております。すなわち、甦った状態も「人」――ナザレ人ーーであって、いかに、それが「神的人格」であっても、イエス自ら明らかにご自身をナザレ人と語り、決して「神」らしくは見せかけなかったのであります。ここにおいては、あく迄も歴史の人が歴史の人として甦ったことを示しており、この点にこそ――救いとの関連のもとにーー人間のもつ人格の永遠性が向う側から語られているものといえましょう。福音書の語るイエスは明らかに人であります。それゆえ、人であるという点においては我々と全く同様であるといえましょう。しかしこの際、肉体だけが全く人で、霊は全く神であるといったような二元的理解は持つべきではありますまい。そのような考は、もはや聖書の人間観ではなく、ギリシャ的、東洋的な人間観といわねばなりません。しかもイエスの死が、あくまでも、贖いの死であるという点に、いかなる人間の死とも比することのできない特殊な「死」と語られるのであります。「贖いの死」というのはまさに神の前の死、神に対しての死であります。嘘、偽りのない、芝居の許されない真【まこと】の「死」であって、まさに史上「唯一の死」というべきものであります。すなわち、肉体のみの「死」というような表現の許されない全存在の「死」であったというべきであります。このように聖書テキストの示す所に従って考えてきますと、イエス・キリストを真に人・真に神と語るニケア・カルケドンの信条は、聖書テキストにもとり、また、イエス・キリストご自身の神観にも、人間観にも、もとるものといわなければなりません。唯一の神、真の神を「父」と呼び、「わが神」と呼ぶキリスト・イエスのみ言葉からすれば、彼を「真に神」などと呼ぶ告白は明らかに間違いで、それは、彼の心を痛めても、喜び給わぬところと思います。 (p147~148)


聖書が、しばしば、神に等しいといった説明をし、事実、神と等しく崇めている人格が、「時」をさかのぼっては、神の創造の業に参加し、時の流れの一点においては、受肉してイエス・キリストと呼ばれて、人類救済の大事業を完成したと語られているところに、見逃し得ないものがあるのであります。それゆえ、私は、聖書が「神の子」と語っても神とは呼ばない神的な人格――仲保者――を無視しては、我々の聖書のもつ秘義を捉えることはできないと思うのであります。(中略)私がここに訴えたいのは、第四世紀のキリスト論のむし返しではありません。パウロがコリントの書で、十字架の他には知るまじと決意したという、あの十字架の福音を徹底的に追及する為に、イエス・キリストが仲保者であり、徹底的な歴史の人――「受肉者」――であることを主張し、芝居ならざる真の十字架上のイエスの「死」において、「贖いの死」という救いの秘義のあることを強調し、さらに、彼の死が真に「贖いの死」である徴【しるし】を、彼が死を征服した出来事としての「甦り」に見出すのであります。私は、このような意味において、キリスト論が福音論そのものであることを主張し、福音である真のキリストを理解したいものと希望し訴えている次第であります。 (p148~149)


先生は、イエスの人格について学ぶならば、ヨハネ伝では、二〇章から始めるべきであるといわれ、トマスの発言である「我が主、我が神よ」を指摘されました。しかしもし、そのような目的でヨハネ伝二〇章を取り上げますならば、二八節のトマス発言よりは、むしろ一七節の甦りの主であるイエス・キリストご自身の発言の方を取り上げるべきだと存じます。すなわち、ここでは、死人の中から甦ったイエス・キリストがご自分で、ご自分の人格証言をなさっておられるからであります。すなわち、キリストご自身と「神」との関係と、彼と彼の弟子達との関係とを自ら明らかに語っていることを知るのであります。(中略)これは甦ってからの発言としてヨハネ伝の中でも特筆すべき言葉であるばかりでなく、新約聖書の中でもその意味において、最も注意を喚起すべき重要な箇所であると存じます。ここでは甦った、いわば神的イエス・キリストが「神」を明瞭に「我が神」と呼んでいるからであります。それゆえ、もしイエス・キリストを「神」であるといいますなら、その神にはまた「我が神」と呼ぶ、もう一人の神がいることとなって、「唯一の神」の思想が破れることになりましょう。イエス・キリストによって説かれ、かつ啓示された神は、広く人間の神であると共に、また、イエス・キリストにとっても「我が神」でありました。このようにイエス・キリストご自身が生けるときも、ひとたび死んで甦ってからも、「我が父」と呼び「わが神」と呼んだ方が唯一の「真の神」であり――キリスト教の神――なのではありますまいか。 (p152~153)


ヨハネ伝の記すセオス」()には、冠詞のついたものと冠詞のつかないものとの間に、明らかな意味上の差別があるということは、ヨハネ伝一章一節で理解することができます。すなわち、この冒頭の一節が成り立つ為には、どうしても冠詞の有無のセオスの間に、意味の上からも、内容の上からも明らかに差がなければなりません。そしてヨハネ伝全体からみて、数少いホ・セオスは――とくに一章一節のホ・セオスは――明らかに「父なる神」(唯一の神)を示しております。そうすれば、ロゴスの方のセオスは、「神」とは訳せない筈であります。それは当然、説明語と見るべきであります。このことを、まず明らかにして、トマス発言をみますに、その「我が神よ」のセオスには明らかに冠詞がついていて、ホ・セオスとなっております。それゆえ、当然ここは「父なる神」と訳してよい言葉であります。そうしますと意味の上からは「我が主よ、我が主なる神よ」と言ったことになります。ヨハネ伝の思想からは、イエス・キリストを「神の子」と呼んでも「父なる神」【ホ・セオス】と呼ぶことはありえません。そうすれば、このトマスの呼びかけのホ・セオスが単純に甦りのキリストをさしているといえましょうか。トマスのようにあくまでもキリストの甦りを疑っていた、そういう人物が、突然甦りの主が現われた為に、まず驚いて「我が主よ」と叫んだことはわかります。このトマスが感激余って直ちに目を天に向け「我が父なる神よ」【ホ・セオス】と叫んで、感謝の祈に移ろうとしたということも考えられます。(中略)ユダヤ人の慣習として(中略)直ちに天を仰ぎ、神に向って感謝し、神を讃美するということが、しばしば、なされておりました。それゆえ、トマスの場合も、異常な感謝すべき大事件に、感極まって、直ちにその眼差しを天に転じ、ホ・セオス(父なる神よ!)と叫んで感謝の祈を捧げんとした、ということも充分考えられます。(中略)ヨハネ伝の思想からは、ホ・セオスがキリストへの呼びかけであるということは、全く考えられないことであります。同じヨハネ伝二〇章の中で、神を「我が神」と呼んでいるイエスが、こんどは、トマスによって彼自身が「我が神」と呼ばれてその呼びかけを承認しているとは、どうしても理解しがたいことであり、もし、ここをそのように解釈致しますと、ヨハネ伝の中なるキリストの神観がうち壊されることになりましょう。 (p154~155)


キリスト・イエスは、自ら神に祈られましたが、また、人々に、神を「天にいます我らの父よ」と呼びかけて祈るように教えられました。しかし、甦りの後においても、私に祈れとは決して教えられなかったのであります。ここに、注目すべきことはヨハネ伝一六章にしばしば記されている「求めよ」と語られている言葉であります。キリストは祈ること(beten)と求めること(bitten)との間に、何らかの差を設けられていたのではありますまいか。すなわち、原則的には神に対して祈ったり求めたりしても、キリストに対しては祈るというより、むしろ、求めるという表現をのみとるべきだというのではありますまいか。たとえ、心理的には同じでも、テキスト上では一応区別しているのではありますまいか。パウロが甦りのキリストに対して、三度わが病を取り去り給えと願った時には、祈ったと記さず求めたと記していることに注目させられます。註 あとで調べましたらⅡコリント一二・八の求めたというのにはビッテンが用いられておりませんでした。しかし、祈ったとはなっておりません。 (p156)


黙示録四章ではキリストは王座についていないように思います。しかし、たとえ、甦りの主が右側の王座に座するというようなことがあったとしても、唯一の王が現存する以上は、そのことで直ちに王自身であるというようにはいえないと思います。 (p157)


私が問題としているのは教理でも哲学でもありません。私は聖書にないことで、あとになって教義の形をとって出てきたものには、人間的作為が加えられていて、危険であり注意すべきであるということを強調したいのであります。たとえば、キリストを、真の神、真の人ということも聖書の中には見られないことであります。もし、今なお、このような信条に立ちますならば、今活ける霊なるイエス・キリストは、そのままで「真の人」なのでしょうか。そしてまた、そのまま、他に「神」なきが如くに「真の神」なのでしょうか。今活ける霊なるイエス・キリストは、このように「人」とか「神」とかと呼ばれるより、むしろ、「神の子」と呼ばれるべき方なのではありますまいか。(中略)今もなお、聖書テキストにはない「真の人」で「真の神」と呼ぶ第四世紀の神学、信条に従わなければならないものなのでしょうか。(中略)聖書テキストが「神の子」と呼んでいる人格の中に、聖書の秘密があると思うのであります。すなわち、キリストについては神か人かといった設定、あるいは神であり人であるといったような表現は、聖書テキストからは、どうしても間違いだといわなければなりません。神と等しいといわれる「神の子」が受肉して人の世に現われたということが、福音の真理なのではありますまいか。  (p157~158)


聖書テキストによるイエス・キリストはいわば一〇〇%の人間であります。それゆえ、彼の死が、ごまかしのない一〇〇%の死――「真の死」――となります。死が「真の死」であってこそ、はじめて、甦りもまた、真の甦りとなります。要するに、キリストが真の人であってこそ、その死と甦りの出来事が福音となるのであります。すなわち、真の福音ーーケーリュグマが成立するためには、キリストがあくまでも「人」である点にあって、「神」であってはならないのであります。それゆえ、イエス・キリストについて、その一〇〇%の人間性が、少しでも割引きされることとなりますなら、たとえば、キリストは「真の神」(一〇〇%の神)であるといった表現をとりーーその「神」に強くアクセントを置きますならば、死と甦りのケーリュグマは破られ、福音は危機に追い込まれることになりましょう。 (p159)



福音書にみられるイエスの証言とか説教の総てが、そのまま歴史的なものであると考えることはできないと思います。むしろ、福音書は一つの信仰告白と考えるべきであると思います。しかし、その信仰告白の背後には、歴史的人格による裏づけがなされているというように考えるべきではありますまいか。 (p160)


福音書を含めた、使徒達の「信仰告白」には、彼等をして、そのように告白せしめた史的イエスが、その背後に厳然として立っていると考えられます。すなわち、弟子達をしてその時折の信仰告白をなさしめた、そのようなイエスが、あくまでも「歴史の人」であると主張するのでありまして、その意味ではイエスによる歴史的発言を否定できないと存じます。 (p160)


聖書テキストの中に、キリストが神でないという言葉の有無を探してみる必要はありましょう。しかし、テキストが明らかに「神の子」という表現のみをとって、「神である」といわないところに、むしろ、積極的な意味があるのではありますまいか。このように申しますのは、聖書の神は異教のように「人」になることがないからであります。聖書は先在した、天の「神の子」が人になったと語っても、「神」が「人」になったとは語っていないのであります。(中略)イエスが歴史の人であり、真の人であるという点については、ドケティズムの主張者以外、いかなる神学者も否定はしないのでありますが、問題なのは、その歴史の人を直ちに「真の神」と呼ぶか否かの点にあるのであります。異教では一般に「救い」とは人が神になることでありますが、聖書においては、人がキリストのような「神の子」とせられるところに救いがあると教えているのであります。すなわち、聖書では神と人とは直接に関わらず、「神の子」が媒介となっております。このような神と人との媒介性がキリスト教の特質でありまして、キリスト教においては神と人とが主題となるより、むしろ、神の子であるキリスト・イエスが主題となって、そこから神と人とが語られてくるのであります。要するに、先在の創造の仲保者である「神の子」が受肉して人となり、人の罪を贖って救主となったという点に、神と人との出会いが可能となったわけでありまして、福音とは、まさに、このような人となれる「神の子」に関わるものといえましょう。そして彼は、決して人となれる「神」ではなかったのであります。 (p161)


受肉という出来事が正しく理解されますならば、それが直ちに100%の人間たることを意味するものといえるのではありますまいか。(中略)事実、四福音書の示しているイエス・キリストは、内実的には100%の人を意味しているといえましょう。  (中略)イエス・キリストが、いわば、100%の真の人でなかったならば、――すなわち人でない部分があるとでもいいますならば――十字架の死の意味が失なわれてしまいましょう。「十字架の福音」ということは、あくまでも、人間イエス・キリストにおいてのみ可能なことではありますまいか。(p162)



ブルトマンは明らかにヨハネ伝の「受肉」の思想を対ドケティズムと主張しております。なお、私自身質問致したいことは、このような肉体を持つ人間存在が聖書テキスト上「神」と呼び得るかということであります。聖書の神観からは肉体を持った神――「人である神」といった思想は見出せません。また、聖書の思想、そしてイエスの思想によれば「神は見えない」存在であります。このことは当然肉体を持つ神という思想を打ち砕き、また、同時に神が受肉するという思想を否定しているものといえましょう。これらのことから結論としていえますことは、イエス・キリストは先在した「神の子」の受肉者であって、受肉という言葉の示すように肉体を持っており、それ故、当然目に見える存在であります。それ故、「神の子」とはいえても「神」とはいえないということも当然なことと存じます。しかし、「神」でないが「神と等しい神の子」であるということが聖書証言であり、福音形成の中心点であると存じます。 (中略)聖書は明らかに、神はその「独り子」を世に遣わしたといっていて、決して神自らが肉体をとって世に来たとはいっていないのであります。(中略)聖書は神の存在について、形而上学的な議論を展開しているとは思えません。聖書の中のイエスの「神」は形而上学的存在論の介入を必要としない――「わが父」「汝らの父」――でありました。しかもイエスはその「父」を「唯一の真の神」(ヨハネ一七・三)と呼んでおります。そして聖書は、この「父」であり、「唯一の真の神」が受肉することがあるとは一度も語ってはいないのであります。受肉して世に遣わされたのは「御子」であります。そしてこの「受肉した御子」がイエス・キリストであるというのであります。それで、私は、イエス・キリストご自身が「神」なのだというより、イエスが「わが父」「わが神」と呼んだ方が「唯一の真の神」と理解すべきであると思います。事実聖書はそのように教えていると信じております。(p163~165)


福音とはあくまでも一つの聖なる出来事であります。一般にハイルス・ゲシヒテ(救済史)と言われるものも、ハイルス・ゲシェーエン(救済事件)として理解すべきものと考えられます。すなわち、福音は人間の歴史の中で爆発的に起きた「出来事」(ゲシェーエン)であります。それゆえ、その出来事の実感は日を追うて次第に弱められても、強められるということはあり得ないのであります。また、もし、この出来事の中になかったようなものが、将来、歴史と共に、新たに強く打ち出されてくるようであれば、それは極めて危険なことでありましょう。新約聖書が語る「聖なる出来事」――「救済の出来事」――は、聖書においてこそ常に新しく人に迫る「神の言」でありまして、それは歴史を経た三世紀、四世紀、あるいは一六世紀、二〇世紀となって新たに現れたような、人間的思索や思想の加味されたものに対比し、もう古くなってしまったと言われるようなものではないのであります。むしろ、福音は聖書においてこそ、最も新しいというべきでありましょう。この意味において、私は福音の歴史的発展性とか、進歩性とかいったことを考えることができないのであります。むしろ、福音に歴史的発展とか進歩とかいった概念をもち込むこと自体が、極めて危険であると思っているのであります。  (p166)


Ⅰヨハネ五章の終りについては、文法上に問題のあることは知っております。しかし「このかた」がキリストにかかるか、神にかかるかは、たしかに問題であって、神にかかるとする意見が強いように思われます。とくにこの書のように、はじめから神である「父」と、神の子である「御子」を対比しつつ論じてきた書が、最後になって、御子と呼ばれるイエス・キリストの方が「真実の神」だというのでは、どうしても無理だと思われます。また、ホ・セオスの釈義でありますが、これは私の身勝手な釈義ではなく、ブルトマンにもこのような釈義があります。ブルトマンは決して無理な釈義をしている学者とは思われません。(中略)マルコ伝四・三三には、イエスは人々の聞き得る力に従って語ったと言っております。イエスは、人々の理解の限界を越えた事柄について語っているのではなく、むしろ、理解できるように、しかし、もちろん、信仰を媒介として理解できるように語っているのであります。特にイエスは「汝らは我を誰となすか」といって明らかに「イエス理解」について問うており、そこにペテロによってイエスの満足した答がなされているのに注目すべきであります。  (p168~169)


エペソ書四章では「主は一つ」「父なる神も一つである」と言い、Ⅰコリント八章では「唯一の神」に対し「唯一の主」として、イエス・キリストが語られており、Ⅰテモテでは神を「唯一」と呼び、さらに「唯一の仲保者」があって、それが人間イエス・キリストであると明記しております。これは、実に注目すべき発言であります。私共は、新約聖書は「唯一の神」と「唯一の主」(唯一の人間仲保者)とを区別していることを知るのであります。そして当然「唯一の主」は「唯一の神」に対して、もう一人の「神」と呼ばれてはならないことも、ここにおいて明らかにされているものと存じます。それとともに、その「唯一の神」と「唯一の主」との関係については、Ⅰコリント一五章に、この「唯一の主」は「唯一の神」に――時、至りてーー従うべきものと、明白にその秩序の差を示しているのであります。このような「唯一の主」すなわち、「人間仲保者」が十字架の福音の基礎になっているのではありませんか。  (p170)


神と等しく取り扱われているから「神」であると結論づけるのには問題があります。なぜなら、「神の子」も神と等しく取り扱われているからであります。私は、神と等しいといわれている「神の子」にこそ、聖書の秘密があると当初から主張し続けているのであります。すなわち、ここで問われますことは「神の子は『神』か」であります。そして聖書は神の子、イエス・キリストを「神」と断ぜず、神についてはあくまでも、その唯一性を貫いていることを知るのであります。パウロは「神の子」が終末時においては神に従う(Ⅰコリント一五・二七)と証言し、ここに明瞭にキリスト対神の関係を示しており、これはキリスト論の上からも重大な証言というべきであります。(中略)三位一体論からはパウロがⅠコリント一五・二七に記したようなオルドヌング(秩序)の差が出てこないと思います。(中略)イエス・キリストが肉体をもった歴史の人である限り「神の子」と呼ばれても「神」とは呼ばれてはならないのであります。そして、人間の救いは「神の子」と呼ばれる「人」なるキリストと同じように化せられる所にあると聖書が教えており、それが福音であります。もし、キリストを「神」とすれば、ここに人間一般の神化も考えられることとなり、聖書の「神」と「人」との思想が混乱してくると思います。(中略)Ⅰテモテ二・五には神と人との間に「唯一人の人なる仲保者イエス・キリスト」がいると、明らかに語っているのではありませんか。  (p171~173)


使徒行伝二・三六やピリピ二・九- 一一には、神はイエスを「主」として、また「キリスト」としてお立てになったのであると書いてあります。そのように、新約聖書がイエスを「主」と告白するのは、それが神によって立てられた「地位」であるからであります。それゆえ、旧約聖書が語る「主」と同様に考えることはできません。要するに「救い」もまた神がイエス・キリストに委ね給うた所のものであります。それゆえ、新約の「救い主」とはイエス・キリストをさしているのであります。イエス・キリストこそは、神の前にあって、「神」と「人」とを媒介する唯一の仲保者であり「救い主」であります。そして「神の子」は、あくまでも、「唯一の神」の外にある主体者として――神ならざる神格者として――大きな秘密を担っていることは、いくら強調しても強調し過ぎることはないと存じます。  (p173)


一般に「十字架の神学」とか「十字架の福音」とかと、しばしば十字架が単独で語られますが、しかし甦りだけが単独で福音として語られることの少ないということにも注目すべきであります。黙示録は昇天したキリストはもはや「永遠に活ける主」であるから、それで充分であって、地上の死の様相の如きは、もはや悪魔として忘れ去られて然るべきだとはいわず、却って、しばしば屠られし小羊として語り、とくに、一度死んだことがあると明記しておりまして(一・一八)十字架の死との関連なしに、「活ける主」も「福音」もあり得ないことを示しているのであります。福音がキリストの死に関わる以上、キリストが「歴史の人」であるとともに、その「死」の事件が人間の歴史の中での事件であることも当然なことであります。ここに仮現説と三位一体の信条とを共に否定する福音的な理由が存するのであります。  (p176)


神と等しいといわれる「神の子」――しかも、甦り、今活ける栄光の主であるイエス・キリスト――に相対する時、人からの呼びかけ、願い求めることが「祈り」の性格をおびるということは、心情的には否定できません。まして、ステパノのような場合(徒七・五四~六〇)祈りとも見られることは当然なことと思います。そして、キリスト者としての信仰生活において、キリストに祈っていると思われるときのあることを否定できません。私とてもまた、この実感の避け難いものであることを告白せずにはおれません。しかし、聖書的な厳密な意味において、キリストに祈るということが成り立つかということとは別問題であります。(中略)キリストご自身はわが名によって「神」に求めよと仰せられており、また、しばしば、神に祈ることをすすめておられます(ヨハネ一四・一三―― 一四、一六・二四――、ルカ一八・一、二一・三六)。すなわち、このようなキリストのみ言葉があったために、すべての祈りがキリストの名によって捧げられるという習慣がついたのではありますまいか。そして、甦りのキリストご自身に対しては「祈り」という言葉をさけて、呼びかけるとか、願い求めるとかといった言葉が用いられたのではありますまいか(使徒七・五四ー六〇、コリント後書一二・八<旧訳>参照)。  (p177)


私が二十二才のとき、自ら決意して洗礼をうけ、信仰を告白して、一人のキリスト教徒となりましたのは、キリストの「十字架の死」が私の罪の贖いだと確信出来たためでありました。すなわち、私の信仰は、いわば贖罪経験からはじまり、それが今迄続いているのであります。私にとって、キリスト教とは、贖罪宗教にほかならないのであります。(中略)
私がキリスト教徒となり、そして、いま、なお、私をキリスト教徒にとどめているものは、キリストの十字架であります。他に何らの理由もないのであります。それゆえ、私にとって、十字架の真理が少しでも動揺しますことは、私の信仰が動揺し、私をキリスト教徒にとどめておくことを危うくすることを意味しているのであります。私はパウロのように十字架以外は知るまいと決意して私の信仰生活を続けてきたのであります。
齢四十才をこしてから、キリスト論に熱中致しましたのは、それが救いの論理であることを知ったからであります。すなわち、キリスト教が他の宗教と完全に自らを断ち切って、その独自性を示すものがキリストであり、かつ、「十字架の福音」であることを確信したからこそ、とくに、キリスト論を取り上げたのであります。率直に申しまして、神についてはよくわかりません。ただ、キリストを信じて、はじめて真の神がキリストの父であり、キリストの父であるが為に、私の父であることを恥としない方であることを知ったのであります。キリスト抜きの神は、私には考えられませんし、信じられもしません。
要するに、私にとって、福音とはキリスト彼自身でありました。それゆえ、私のキリスト論はそのまま福音論であります。すなわち、私のキリスト論は、論といっても頭から出ないで心情から出ている部分が多いのであります。それゆえ、それは、いつでも私の信仰告白に連るのであります。 (p189)



















 



    









 







 




 







 








1.11.13

主著作より その3

(・・・続き 『福音論争とキリスト論』より)


イエス・キリストにおけるエゴー  エイミは氏が「これは大変な言である」(九七頁)と驚いたように解釈すべきものではないのであります。イエスにおけるエゴー  エイミは、ブルトマンが正しく主張しておりますように、これは決して「われ在り」を意味するものではありません。あくまでも「――、それが私である」という意味であります。(中略)エゴー  エイミだけを独立させてわれは在るとの宣言と解釈するのは間違いであります。(中略)エゴー  エイミのエゴーはそれ故主格述部であって主語なのではありません。すなわち生きたパンや光など――それは私なのであるとこのように語ったのでありまして、ギリシャ語では I am he (ヨハネ四・二六)と It is I (マルコ六・五〇)の間の動詞の人称に変化はないのでありまして、両方ともにエゴー  エイミであります(ブルトマンによる)。(p201~202)

イエス・キリスト御自身において「」から「わが神」となり再び「」と呼ぶに至りし給いしことが福音の出来事であり、(中略)神性に満ちて――光り輝いて神の如くにさえ見られる甦りの主が、十字架上においてだけ用い給いし「わが神」を、何故更に再びここで(ヨハネ二〇・一七)用いられ給うたかが、きびしく瞑想されなければならないでありましょう。イエス・キリストはトマスが叫んだように、今後彼自身が神とせられることを懸念なさり、ここで自らすすんで神を「わが神」と呼び、彼が神と呼ばれてならないことを、すなわち、自らを全く人の側に立たしめ、弟子たちを「兄弟たち」と呼び、共に神を拝さんとの決意を示したものと解釈してはどうでありましょうか。ここにも神とされるかも知れないということを憂えた甦りのキリスト・イエスが、率先神ならざることを示したもの、と考えてはどうでありましょうか。 (p207)

 私は図らずもイエス・キリストが神への呼びかけとして、或は又神を語る時の神について「わが神」と呼んだ特筆すべき三つの場合を見出したのであります。十字架上においての呼びかけである「わが神、わが神」には罪を贖う者としてのイエス・キリストを、そして甦りの瞬間において語られた「わが神」には神ならざる仲保者としての立場を宣言したイエス・キリストを、そして黙示録においては事実神と等しく讃美されても、神に対してはあくまでも「わが神」と呼ぶ立場を持する存在として(中略)要するに、イエス・キリストを崇拝して「神」に祭ることが、イエス・キリストの福音的行為としての十字架の福音を危くするものであって、イエス・キリストを聖書の語るままに「神の子」と告白することが、そしてその「神の子」の徹底した受肉者として――歴史の人としてイエス・キリストを理解することが、異端的一切のドケチズム思想である「キリストは神だ」を排撃して、福音の真相に辿りつかしめるものと確信するものであります。要するにイエス・キリストの語った「わが神」のなかに、福音論争としての「キリスト論」の極致と帰結とを認めることが出来ると信ぜられるのであります。 (p208~209)

ヨハネ文書の「独り子」の派遣も、いつの日かその「独り子」の地位の回復を約束されての、派遣ではなかったのでありまして、聖書の「時」と「出来事」には回帰がないのであります。これがパウロのケノシスの意味でありましょう。 (p210~211)

受肉が断絶を意味していたのに反し、歴史の人としてのイエス・キリストの、生と死、甦りとの間には、不思議に「名」による連りがあったのであります。すなわち、イエス・キリストなる名称は、甦って後も、否、昇天後においても、そのまま使用されているのでありまして、このような点に、初穂たるイエス・キリストの率先して示した、救の実情が物語られているのではありますまいか。聖書の告知する最大の秘密は「言【ロゴス】」とよばれ、神の独り子、御子とよばれて、宇宙の創造の役割を果した人格、時に「永遠の生命」「真の光」などと語られても、「名」をもっては呼ばれたことのない人格(神の子)が受肉して世に来て、はじめてキリスト・イエスという「名」をもって呼ばれたこと、そしてそのイエス・キリストは極めて特殊な人生を過し且つ終えられたということにあります。この受肉が徹底的に理解されない限り、すなわち、肉体をもった神といった間違が明らかにされない限り、福音の出来事が正しく理解されるに至らないのは当然なのではありますまいか。 (p211)

キリストは神である、といったドケチズムの流れが、代々のキリスト教会の中に浸潤し、聖書の語る神観とキリスト観を危くし、ひいては、十字架の福音を危くするものとなることを、長く気づかずに過ぎて来たのではありますまいか。ヨハネ伝一・一八にある「独り子の神」についても、全聖書の光をもってする、クリティークを怠ったために、ヨハネ伝並にヨハネ文書が当面の敵として激しく戦ったドケチズムに一部の場を譲り、(中略)主御自身、早くも御国(教会)の中に毒麦の発生を(マタイ一三・二四――)憂いたことが実現し、われ来るとき地上に信仰を見んや(ルカ一八・八)とさえ嘆き給うた、その神の子の憂が実現したものと見られるのではありますまいか。なぜなら、イエスの死後間もなく発生した異端的毒麦が、ドケチズムであったからであります。 (p211~212)

「子なる神」(ヨハネ一・一八)となすテキストに従っても、これはヨハネ伝の著者が、キリストの先在時の呼称として用いたものでありますから、受肉者のロゴス化が語られないと同様に、歴史の人イエス・キリストの「子なる神」化が語られてはならないのではありますまいか。また、三位一体の教義の告げる「子なる神」は、先在―受肉―昇天を貫いて「子なる神」としてのみ語られますために、そこには歴史がなく、ただ変化のみあって、回帰し、啓示の歴史性が失われてしまうのではありますまいか。しかも「子なる神」はイエス・キリスト御自身、ただの一度も語り給わなかった「神」であることに思い至りますならば、この「子なる神」を受肉の人イエス・キリストにあてはめることは勿論、先在時をさす呼称としても、確に問題であって、ここにテキスト・クリティークの当然介入すべき点があるのではありますまいか。聖書の神は、イエス・キリスト御自身教え給うた「天にいます父なる神」であり、「唯一のまことの神」でありまして、決して「天にいます子なる神」とよばれる「神」ではありませんでした。事実「子なる神」はキリスト教の神とは言えないのであります。 (p212)

「真に人・真に神」の思想は、キリスト教が異邦に伝えられ、異教との関連をもつようになってから、キリスト教の中に導入された思想であって、本来ヘブライ的・キリスト教的そして聖書的思想とは言えないのではありますまいか。これはだいいち聖書には見出せない思想であります。(中略)「肉体をもった神」が聖書の告知する神でない限り、そして、キリスト御自身が祈り且つ従う「神」、イエスの「わが神」とよぶ――唯一の神が在す限り、キリストは真の人であっても、真の神でないことは当然なことであります。 (p213)


(注)「真の人」と「真の神」については、傍点がズレて打たれているのでブログ主が自己判断で特定した。

十字架が「罪を贖う」福音であるということは、十字架上に於てキリスト・イエスと神との間に、きびしい断絶があったことにあります。それ故三位という表現を用いますなら、その三位の一体性が完全に打ち破られた所に福音の場がある訳であります。三位一体の教義は、十字架の福音の意義――神との断絶――を危うくする意味に於て、福音を危くする教義として、排さざるをえないのであります。福音はキリスト・イエスの光る面にあるのではありません。神との一体主張の中にあるのではありません。福音は、あくまでも、キリスト・イエスの「神との断絶」の場、エリ、エリ、レマ、サバクタニの中にあるのであります。キリスト・イエスの神格強調の中にはなく、キリスト・イエスの「受肉の人」強調の中にこそあるのであります。 (p214)

「神の子」なる呼称は先在―受肉―昇天という「時」を貫いて、ひとしく呼ばれる唯一の呼称であります。そして「神の子」が神と人との仲保者であるという重大な事柄が、ボヤケテきますと、「神の子」が、すなわちキリストが、神になり切ったり、またただの人になり切ったりする危険を生じ、その危険を逃れようとして、神であって人、人であって神、と表現され、区別出来るが分離しがたく結合した神性と人性とをもつ人格という表現さえとられるに至ったのであります。それ故、死においては神性、人性の分離が起き、ギリシャ的二元論の変形したものが現われ、贖の死のきびしい意味を失わせてしまうのであります。 (p214~215)

キリスト・イエスは「神」とか「人」とか語られるよりも、むしろ「仲保者」と語られ「神の子」と語られべきであります。そして「神の子」は、先在時においては「神」ではなく「子なる神」でもなく勿論「人」ではなく、あくまでも「神の子」であって創造の仲保者であります。そして受肉しては全き「歴史の人」でありました。ただ一般の歴史の人と異るのは彼はあくまでも「神の子」と呼ばれる人格で、常に天にて授けられた使命の記憶に生きていたからであります。(中略)そして聖書は、神にひとしい「神の子」の創造から終末に至る主体的救済活動を、その主題として語っており、しかもこの「神の子」の活動は「神がすべてにあって、すべてとなられるとき」(コリント前一五・二八)に終りを告げるものであります。すなわち、万物がキリストに帰一して、然る後に神に帰一することが、救済の完成でありますから、キリストの業の終る所がある訳であります。そこにキリストの仲保者性の限界があると言えるでありましょう。(p215)

私は、聖書の回帰することなき歴史性と、「子なる神」の非聖書性と、キリストを真に人・真に神となす三位一体の非福音性について私見を述べました  (p215)

万物のキリスト帰一と、然る後にキリストを含めての神への帰一を学びとることが出来るのでありまして、そこに、福音の完成と終末を発見出来るのではありますまいか。 (p216)

錦の御旗と化した三位一体が、教会の労作であり(バルト)、また、教会が、やむにやまれぬ必要に迫られたために、このような「三位一体」とか「ペルソナ」といった言葉を使用せざるを得なくなった(カルビン)ものだとすれば、しかも聖書テキスト上言明されておらない事柄である以上、聖書のテキスト・クリティークが、信仰的立場から、厳しくなされ得ると同時に、三位一体の教義もまた、きびしい批判の対象となってしかるべく、もし私どもキリスト者が、第四世紀の神学に縛られて――その枠内でのみ、聖書研究をしなければならないといたしますならば、そこにはもはや、研究の名に値するものが、なくなるのではありますまいか。 (p220~221)


私にとっては、福音の理解を聖書に基いて徹底いたしますならば、キリスト・イエスは神であり給わず、また、歴史の中からいで来った、ただの人でもなく、先在、受肉、死、甦、再臨、を貫く神の子として、それ故、地上のキリスト・イエスは、天にて受けた使命の記憶をもち、その実践に生きた人格として見て、はじめて、聖書の告知する神の子イエス・キリストを理解できるものと存じます。――「神の子」は、神でないからこそ、受肉し、死と甦りの出来事を、その身に提出して、救済の業を完成なさったのでありまして、――あくまでも彼の十字架の死に、福音を見るのであります。すなわち、肉体をもった所の「神」ならざる人格にのみ「十字架の福音」があり得るからであります。 (p222)

キリスト教に於ける最大問題は、恐らくキリスト論であり、それに次ぐものは神観でありましょう。キリスト教に於ては、神観に至る道としてキリスト論を経由しなければなりません。ここにもキリスト論が仲保となっていることに気がつくのであります。実際にキリスト論なしの神観というものは、キリスト教にはないのであります。しかも神観に至るべきキリスト論は、キリスト教にとって最大問題であるとともに、異教と明瞭に分つ所の極めて重大な問題であります。それ故聖書神学もキリスト論に結集して論及され、それが福音信仰のバックボーンとならねばならないのであります。いわば福音的キリスト論の確立こそ必要であります。このような観点から考察しますに、現代までのキリスト教会に福音的キリスト論が、聖書の語る深さに於て論究しつくされていたかは、甚だ疑問であります。なぜなら重大なキリスト論については、四世紀神学にまかせきったきらいがあり、これを批判の余地ないものとしてしまったかに考えられるふしがあるからであります(勿論神学的な発展はあったことでしょうが)。神学は変ってもよくあります。しかし聖書の真理は常に深く湛えられているものでありますから、いつも目を覚まして、これを汲みとるよう努力しなければならないのであります。 (p222~223) 


『キリスト論・ドイツの旅』(紀伊國屋書店)より

なにしろ、辛うじて信仰生活を続けてきたという私の体験から、キリスト教徒を「断崖に立つ者」と表現し、キリスト教を愛と平和と道義の宗教となす意見に反対し、むしろ、キリスト教は信仰者の心に焦燥と波瀾とをおこすものとして「キリスト教的焦燥」を主張してきました。真実を求めては躓き、キリスト教徒の内なる生活を洞察しては「悲を知る者」――すなわち、真の人間の悲しみというものを知って悲しむ者――として捉えてきました。そして、そのような表題の著書も数冊出版致しました。しかし、謹呈しました牧師さんから「彼のキリスト教には救がない、恐ろしいキリスト教で福音とはいえない」と、投書されたり致しました。 (pii~iii)

少年の頃聖書の中心が「十字架の福音」であると教えられ自らもそうだ確信して以来、キリスト教をして真にキリスト教たらしめているものが多核的でないことを知りました。そして四十才を過ぎてから、聖書のしめす中核である「十字架の福音」に立って聖書を見直し、まず聖書の中心と周辺とを識別するとともに、次第に聖書の神と、聖書のキリストとがキリスト教会の教える信条の神や、信条のキリストと、どうしても一致しないものであることを見い出しました。そして、教会には、キリストと神について、是が非でもというように定めたタブー的なものが支配していることに気がついたのであります。 (piii)

キリスト教がキリストを信ずる宗教であり、キリストの啓示した神を信ずる宗教である以上、キリスト教にとってキリストと神とが明らかでなければならない筈であります。もし、それが明らかでなければ、それこそ大変な問題となりましょう。すなわち、もし、キリスト教会が、キリスト教にとって唯一の文献であり、聖典である新約聖書に明記していないようなキリストとを信ぜしめようとしているのであれば、それはほんとうに、大問題であるといわねばなりません。信者達は教会がお膳立した通りに信ずれば、それでよいではないか、というのであれば聖書を退けて、信条のみを唱和させればよいでありましょう。 (piv)

聖書とても、天から降ってきた奇蹟の書物ではありません。(中略)聖書とても、そのまま「聖なるもの」ではありません。それ故、宝物扱いはできないのであります。しかし、聖書が指さし示しているのはキリストであって、聖書の中心にはキリストが立っているのであります。聖書の中心がキリストであるからこそ「聖なる書」といわれるのであります。なぜなら、そこには、キリストにおいて、神の聖なる救済の音ずれが語られ、示されているからであります。このように考えますと、キリスト論は聖書から生まれて、しかも、聖書の真価を定めるものといえましょう。すなわち、聖書のしめすキリストの「十字架の福音」の光で照らし出されて、その使命を確認されるものであります。ここに、聖書をキリスト論的に読む必要が生ずるのであります。 (piv)

私は一キリスト教徒として、長い間教会生活を続け、聖書を学んできましたが、キリスト論をとり上げて以来、私自身の眼で読み、私自身の心で考えた聖書は、いわば、多年キリスト教のタブーとなってきた信条について、幾多の疑問を持たしめ、遂にキリスト教伝来の、いくつかの信条を否定することとなりました(第十章)。これは、確かに重大な問題だと存じます。もちろん、これが聖書から見て、誤っておれば、私は潔く改めも致しましょう。しかし、もし私の主張が聖書本来の思想と一致するのであれば、日本キリスト教界は、聖書をとるか、教会信条を固執するか、そのいずれかを執らざるを得なくなることと存じます。この意味において、たとえ、質疑の形で提出されてある問題でも、現下のキリスト教界に広く決断を求めるものであることは言うまでもないことであります。このような点に本書の重点があるものといえましょう。 (pv)

唯一の神は、父・子・聖霊なる三位にして一体の神と語られるようになりました。しかし、このような無理な表現で説明される三一神論は、たしかに、聖書にはなく、それは、あくまでもキリスト教会の所産であり、労作でありましたが、また同時に、それは教会の苦悶の産物ともいうべきものでありました。(中略)キリスト教会は、父と呼ぶ唯一の神を残置しつつ、子と呼ばれるキリストに神性を賦与して天に挙げ、神の右に置き、これを二位格の神とし、更に昇天したキリストと信者の群とを結ぶ交わりの力として、キリストよりくる聖霊(助主)を、等しく神格をもつ三位格の神となし、その上でこの三位の神の一体性を主張したわけであります。もちろん、このような三位一体の神という言葉は、聖書の中にはありません。たとえ聖書は、父と子と聖霊とを語っても、三位一体論のいうような意味で、それが一体だとは語っていないのであります。 (p5)

実は、キリスト論というものは、キリスト教の当初から出現したものであります。極論すれば、キリスト教はキリスト論から始まったものといってもよいのでありまして、新約聖書自身のなかに、すでにそれは論争の形でしるされており、あの迫害の時代においてさえ、キリスト論・論争は活発に戦わされていたのであります。それが、キリスト教の公認とともに、忽ち、表面に強く飛び出してきたのであります。そして、その後、キリスト教史の上では、キリスト論は、三位一体との関係で論ぜられ、三位一体がひとたび、正統的なものと定められてからは、異説をすべて異端として非難・排撃し、いわゆる異端に対する激しい憎悪と、その処罰の残酷さは、キリスト教史に多くの汚点を残してきたものであります。 (p5~6)

日本YMCAのように、そのメンバーの僅か一割か二割位しかキリスト者がいないという団体において、すなわち、それだけに、特に、心して宣教をしなければならないという団体において、パリー標準をそのままYMCA目的条文に採用し、「キリストを神とする」ことが「聖書にもとづいてなされる」というのであれば、これはたしかに問題であります。なぜなら、そこには、聖者を「神」に祭るという異教の神日本的神があっても、聖書本来の神はないからであります。これを、聖書にもとづく神観や、聖書にもとづくキリスト論と対比致しますならば、その誤りは明らかになりましょう。聖書が語る創造者・唯一の神は、キリスト自身ではないからであります。唯一の神――キリストが父と呼んで祈った神――以外に、キリストなる神があるというのでは、それは多神教となり、もはやキリスト教とはいえないでありましょう。 (p8)

贖罪宗教としての十字架の福音を徹底的に理解するためには――十字架上で死なれたキリストが神であってはならないのであります。それゆえ、私には、YMCAの目的条文は、福音の内実を破る結果となり、福音を危くするものと考えられたのであります。それで、私は、これを手がかりとして広くキリスト論を展開することに決心したのであります。 (p8~9)

キリストを知り、かつ、信ずるためには、唯一の文献である新約聖書によらねばなりません。それゆえ、必然に、聖書に基づいたキリスト論が重大な意義をもつことになるのであります。しかし聖書の中核に「十字架の福音」の出来事をみる以上、どうしても十字架の福音から見たキリスト論が必要となるわけであります。それゆえ、私の意見というよりは、むしろ、聖書証言を主として――特に、十字架の福音に立って――キリスト論を展開したという点に、この論議の特質があるのであります。 (p9)

この著書はキリスト教伝承の中のタブー化しているキリスト論について発言するきっかけを作り、多くの真実なキリスト者が、聖書に基づくキリスト論について、自由に、恐れなく論じて、聖書の語るキリストの真実に肉迫し、より多く福音の富を、そして、より多く神の恩恵を見出し、感謝を共に致したいという念願にかられてここに出版を決意いたしたものであります。 (p9)

私のキリスト論は、神道思想に着色されたものではなく、あくまでも、キリスト教をキリスト教たらしめている福音理解のためのものであり、そのためには当然、福音の書である新約聖書の示すところに従って、忠実に、キリストを理解すべきであり、また、こうした立脚点に立ってこそ、信条は批判さるべきであって、信条が聖書を規定すべきではなく、常に聖書こそ信条を批判し、監督すべきであるとの主張を認めて頂きたかったのであります。
 (p39)

「臨終に生きるが如く生きよ」という誰かの言葉は、時と所によっては、じーんと胸に応えます。人は誰でも、臨終の気配を感ずるときは、必ず追憶と同時に、いわば聖なる決意をもつものであります。その意味において、「臨終のスタイル」に遭うことは、人にとってよい事であります。 (p41)

私は、私を十字架の主より離れさせるという最大の試みが、かえって、倫理的なものであって、サタンはいわばこのような人間にとって尊いものを利用し、私を十字架から離脱せしめて、亡びに導こうとするものであることを知ったのであります。私はここに、大いなるサタンの業を発見し、じつは、心から驚いてしまったのであります。 キリスト教は倫理的宗教であります。それは、最も大切なことでありましょう。しかし一般の他の宗教のように、それがすべてではありません。いな、時には、それが、真の福音を危うくするものであるということに気がつくのであります。人が倫理的な実力者となることは、十字架の福音からは危いことであります。聖パウロさえも、彼自身罪人の首【かしら】であるという体験をもたなかったら、真の福音の使徒とはなれなかったでありましょう。私は、真のおそるべきサタンの試みこそは、実は人間にとって最も尊く思われる倫理を手段とするものであることに、気がついたのであります。これは、意外な心霊の経験でありました。しかし、このように申しましても、私は決して倫理の否定者となったわけではありません。もし、キリスト教に、真の福音的倫理というものがあるならば、それは当然、十字架の下における倫理でなければなりません。すなわち、それは、いかなるよき業をなしても――あたかも、為さざるにひとしく――それでもって救われるとは、決して思わぬという倫理でなければなりません。要するに、限りなくよき業にはげみ、しかも、それがいかに成功をおさめても、彼が罪人であることを決して忘れさせないということでなければなりません。いな、彼は、善き業を為しつつある時でさえも「罪人」にほかなりません。それゆえ、人の「善行」さえ、それは「罪」とひとしく贖わるべきであります。人には、主の贖の外に立つ何ものも存在しないからであります。要するに、それがいかに善行でも人の善行には罪の香がしみこんでいて、善行と呼ばれる「罪」があるとも、いえるからであります。主の十字架は人の「罪」の贖であり、また、人の「善行」の贖でもあります。すなわち、全人間の贖であることを知らねばなりません。 (p50)

人はみずから立派になったとの自覚において救が与えられるのではなく、むしろ、みずからの罪を示され、罪を自覚して、キリストの十字架以外に救のないという秘義を悟ったとき、そこに、はじめて真の救を見出すのであります。これはパウロにより「人の救われるのは律法の行為によるのではなく、ただ信仰によるのである」と主張された所でありまして、それはまた、お国の生んだルターのひとしく叫んだ所であります。すなわち、キリスト教の福音の中核は、人間の側に救に与る資格を見ないということでありまして、救とは神から来る絶対恩恵にほかならないということが「十字架の福音」の意味するところのものであると思います。 (p56)

神の御光【みひかり】の前に立つ者は、みずからが、ただ、罪人の一人であるということではなく、その罪人の中でも首【かしら】に位する者であることを示され、そこにおのずから福音の恩恵を知り、隣人に対しては謙虚な者となるのであります。福音が人間に及ぼす影響は、謙虚さであります。謙虚ならざる者は、福音の光に打たれている人とはいえないでありましょう。要するに、宣教師であれ、一般キリスト教徒であれ、彼が人々より尊敬されるような人格者であればあるほど、その人格が救の資格となっているかのような印象を人々に与えてはならないのであります。そしてまた、他人が、彼をどのように賞賛しても、彼自身としては彼の人格が福音を信じての結果であるかのような印象を与えてはいけないのであります。 (p56)

実人生は複雑であります。人は信仰生活に入ってからは、たとえ、神の前には罪人であっても、人の前には罪人であってはならないという責任感にも似たものを感ずるものであります。そこに二つの力、福音と倫理(律法)が内部で争うことになります。しかし、このような戦が心の中にあってこそ、キリスト者は、福音を日毎に実感して生きることができるのであります。そしてまた、福音は、私共を福音より遠ざけ、亡びに導く力が、人の心に美しく見える倫理的なものであるということに気付かしめ、戒心せしめるのであります。不幸なことに、美しい性格をもった、いわゆる、立派な人格者であるキリスト教徒ほど――福音から見てーー危険なものはないということであります。 私はこの機会に、福音宣教のためにアフリカやアジアに赴かれる牧師さんたちに、先ず、このような点に充分に注意して頂きたいと存じます。福音は常に倫理に勝ります。倫理において不可能なことを福音が可能にするのであります。イエスは言われました「人のなし得ぬところは、神のなし得るところなり」と。 (p56~57)

一切のものは神の審の前に立たねばなりません。神はあなどるべきではありません。人間は誰しも罪深いものです。自分の努力で救われる人は唯の一人もありません。キリストの十字架以外に救われる人は一人もありません。神のみ審を脱れ、救われた者として神のみ国に入るためには、キリストの十字架の血潮で罪が赦されねばなりません。これこそ二千年の歴史を貫いて真実な魂が叫び続けてきたところです。これが福音です。これがキリスト教なのです。あなたとの友情も決して三十年で終りません。あなたは神の御国で再び相逢う日のあることを望まれませんか。キリストの救により私達の友情を永遠のものたらしめようとなさいませんか」と。(中略)私は思わず「中山さん、その最後の壁を打ち破りなさい、そうすれば神の光に浴することができます」と叫びました。するとそのとき、私は聖なる神のみ手が中山さんの全存在を打ったかに見えました。そして、中山さんと神をへだてていた壁が、ガラガラと音をたてて破れるように思われました。そして、私は「いま、ここに神在す」と全身に鳥肌が立ち、烈しい、戦慄におそわれました。(中略)思いがけないこの言葉に、私は驚き喜び、彼の手をとって祈りました。そのとき、神様は近くにいましたまいました。長い感謝の祈の後、キリスト・イエスの名により祈を捧げました所、彼は大きな声で「アーメン」と和しました。 (中略)三十年の歳月、神と戦った魂は、今いさぎよく神に破れました。神に敗れて、彼は人間の宿命に勝ったのです。 (p72~73)

私はおそるおそる解剖教室に参り、多くの学友と共に勇を鼓して、解剖を始めたのであります。そして、その時から幾日かたちました。私は次第に人間の肉体が如何に素晴らしくできているかに驚くようになりました。そして、ますます神の創造の御手を実感するようになりました。やがて私は旧約聖書が、神がその姿に似せて人を造り給うたという、あのイマゴ・デイ(神の似像)を心から然りと素直に信ずることができるようになりました。私は冷厳な解剖教室の中で幾度となく、メスの手を止め、静かに祈らざるを得ませんでした。そこには大いなる方が黙して在ましたからであります。人は死ぬ、しかし、人は神に象どり造られたもの、人こそは神に属すべきものであると感じ、医学に対し、一段と勇気と情熱とをもつようになったのであります。 私は父の望むように一人の医師となり、医療に力をつくすと共に、一人の平信徒伝道者たる仕事をも続けているのであります。 (p78)

一人格の中で、科学と宗教 ― 学問と信仰がしっかり手を握って、お互にはげましあうこともあるということを、お考え頂きたいと存じます。私共はお互に死を以て終らぬ人間存在を、聖書の中に見出すべきであると思います。 (p78~79)

私はかつて、浄土真宗の本山の秘密の箱の中に、中国語で書かれた聖書の一部があるというようなことを書物で読んだことがあります。その真偽はもちろんたしかめることはできません。しかし、そのようことが話題になりそうに思われる程、キリスト教に似ているのであります。浄土真宗は罪人、悪人の救を強調いたします。そして、弥陀の本願とはまさにこのようなものであるというのであります。(中略)このような教義からは、人の救については必然に、救われる者の側に、救の資格や条件を設定しないのであります。これはキリスト教の福音に極めて似た点であります。しかし、それでも、キリスト教とは明らかに差があります。キリスト教で救と共にとり上げられるのは「義」と「審【さばき】」であります。すなわち、キリスト教においては罪が赦され、義とされ、聖化されて救われるのでありまして、その背後には弥陀の本願とはちがう「神の正義」が貫かれているのであります。この神の義と審きがあってこそ、キリスト・イエスの十字架が福音となるのであります。それゆえ、私は日本で宣教する際、仏教との差異については、常にこの点に注意して、十字架の福音を宣べ伝えているものであります。 (p91~92)

私は、キリスト・イエスの十字架の死が、私の罪の贖の為であり、私の救であると固く信じている。このように信じて、キリストの十字架の死を思う時、私は、自分の死が平安であるようにと願うことが出来ない。病者の平安な死を望んでも、私自身に関しては、そのようには望めない。人生ただ一度きりの死の時――ただ一度の死の機会を、私は逃すわけにはゆかない。私は死の時こそ『贖の死』という、いかなる人も経験できない、最もきびしい『死の苦痛』を味わいつくし給うたイエス・キリストに心から感謝し、主を讃美できる時だと信ずる。そんな得難いチャンスを見逃すわけにはゆかない。私は死を待つ!そして、それが主に感謝し、主を讃美出来る最もよき機会として、勇気と、むしろ希望とをもって死に対決したいものである (中略)私共の人生には繰返しがありません。人生の最後が死であり、そして、その死を人々は恐れます。しかし、その死の時が、主に感謝出来る最上の時であることを忘れてはならないと思うのであります。私共はこの様な「死」を死んでこそ、主と共に甦える喜びに召されるものと信ずるのであります。 (p93~94)

聖書を尊ぶということは、ただ、これを宝物扱いすることではないと思います。なにしろ、日本は、世界の神学思想をうけ入れ、それぞれ、すぐれた神学者を輩出しております。それゆえ、一面において、聖書のクリティークは果敢にいたしますが、その中心であるハイルス・ゲシェーエン(救済のできごと)としてのケーリュグマにこそ福音のあることを固く信じ、この福音を宣教することに努力いたしております。すなわち、日本では聖書は常に真剣に学ばれており、聖書をもって伝道しているというのが実情であります。 (p98)

なにしろ、全学連が勇ましく戦い、デモが頻発し、キリスト教会すら華々しいデモ行進をしたという報道をみれば、いまにも日本には、共産革命がぼっぱつするかのように思われ、それ! 宣教師を派遣せよ、というような意見が出たり、また、それに便乗する宣教師もいないわけでもありません。 (p99)

私は、教会へ教会へと集ってくる多くの人々を見ながら、ドイツ人は皆キリスト教徒なのかといぶかり、ドイツには最早や福音を伝道し宣教する余地がないのであろうか、すなわち、伝道が不必要な程にドイツの人々は皆キリスト教徒なのか、といぶかしく思ったほどでありました。しかし、その時私はふと、イエスご自身の語った、不思議な言葉につき当らざるを得ませんでした。イエスはルカ伝十八章八節(文語訳)に「されど人の子の来たる時地上に信仰を見んや」という不思議な言葉を語っておられます。ある人々はいうかもしれません。「ドイツを見ただけでも多くの教会が建っており、その中には多くの信仰者が満ちている。それ故『われ来たる時地上に信仰を見んや』と嘆かれた神の子イエス・キリストの言葉は、いわば杞憂にすぎなかった」と。しかし、はたして、そう言えるでありましょうか。むしろイエスは、信仰者のあふれているように見える、教会に対してさえも、なお、この言葉を語り続けているのではありますまいか。例えば同じルカ伝の中に(一七・五~六)イエスの直弟子達が、私どもの信仰を増し給え、と願った時に、イエスは「芥子種一粒程の信仰あらば・・・」とおおせになり、自ら信仰ありと自負する直弟子にして、あたかも、芥子種一粒程の信仰すらもないのではないかと警告を与えておられることに注目すべきであります。「信仰というのはあるように見えても、ないものである」ということは、しばしば、私自身のうける警告なのであります。 (p112)

私がドイツに参りまして、聞きましたのは、「若い教会」という言葉であります。これは、主としてアジア・アフリカの諸教会を指して用いられている言葉のようであります。(中略)しかし、私は、そのような言葉の語られている反面の、いわば「古い教会」、欧州の教会について、古過ぎる教会ではなかろうかとの感じを持ったのであります。(中略)しかしながら、福音はあく迄も現在の我々に対して問いかける新鮮な言葉でありまして、福音とは決して過去の追憶に生きるもの――過去を記念するもの――ではないのであります。もちろん、問題は、古いか新しいかにあるのではありません。福音が生きているか、否かにあるのであります。なぜなら、イエスは、後なる者は先なるべしと教え、古きに安んずること――歴史を誇ること――の危険を教え警めているからであります。私は、その昔、世俗的文化と結合し、人々を威圧するような大建築を建てて、宗教の威力を誇示した古い大教会の中にあって、今なお、昔ながらの古めかしい考え方や伝統的礼典に安住しているのが、もし欧州のキリスト教であるならば、恐らく激しい警告を聖書の中から学ぶべきであると思うのであります。すなわち、キリスト教が迫害の時代より解放されて実力をもつようになり、世俗の力や、文化と手を握るに至ってから堕落が始まり、キリスト教の純度を汚すようになったことを、私どもは、しばしば歴史に証明し得るからであります。 (p113)

戦後、日本の天皇が自ら「神」であることを否定して「人間」であることを宣言したという、あの報道について(中略)私は、あの言葉ほど馬鹿馬鹿しい言葉はないと思っております。だいいち、天皇の人間宣言というようなことは、戦後の日本が余儀なくなれた一つの対外的ジェスチャーに他ならなかったからであります。このように申しますのは、日本の天皇で「私は人間でなく神だ」と宣言した天皇はただの一人も居なかったからであります。たとえ、明治天皇にしても、ご自分を神として、あるいは、また、神の如くに宣言したことは一度もなかったのであります。日本が明治の新しい時代を迎えたとき、日本は、天皇中心に国家的団結を強化して、新興国家を建設したのであります。そして、それ以来、ある右翼の思想家は天皇を「あらひと神」(現人神)――まことの人にして、まことの神――と表現し、民族主義精神を鼓吹して、人心の統一に役立たしめ、西欧の東漸勢力に対決してきたのであります。それは、決して、天皇が自らを「神」として宣言したということではないのであります。 古くから、日本人一般は誰でも、自分達は神々の子孫であると考えており、死ねば神となり、祖先の神々の仲間入りをして、子孫によって祭られるものとの思想を持っていたのであります。それとても、漠然とした習慣的な思想にほかなりませんでした。しかしながら、このような「神」の思想はキリスト教で語る神(Gott,God)の思想や異教の神々(Gotter, gods)の思想とは全く異っていたのであります。(中略)国家に勲功のあった戦死者が、「神」として、靖国神社に祭られることは、それゆえ、当然なことなのであります。しかし、ヨーロッパの人々が、そのような日本人の思想を考える時に、日本人の用いる神がゴットと考えますと、非常な誤りを犯すことになるのであります。日本の神という言葉には、上と下とを示す「上【かみ】」という言葉と深い関連をもっております。(中略)天皇が「神」であるという時、Gottという理解よりは、日本民族の一番「上」にいます方、すなわち、かみにいます方という意味に考えるべきであります。それでも、日本においては、「神」という言葉は軽卒に用いてはいないのであります。なぜなら、神は一応西欧のゴット(ゴッド)の訳になっているからであります。しかし、ここに誤解の源泉があるわけであります。要するに戦後において、天皇が自ら「神」たる資格を否定して人間宣言をした、というようなことを、神をそのままGottと解するならとんでもないことなのであります。 (p116~117)

内村先生の無教会主義の中心は「十字架の福音」でありました。すなわち「十字架の贖い」の中に、神の絶対恩恵を見るということであります。 そして、私もまた、イエス・キリストの十字架の贖いの中に、キリスト教を真にキリスト教たらしめている福音を認め――聖書の中心もまた、そこにあることを確信しているのであります。 すなわち、イエス・キリストの十字架の死が、人間の誰にも見られる「死」――人間一般の「生物学的死」――とは違うということ、そしてまた、歴史上に見られた殉教者達の十字架の「死」とも全く異るということ、イエスの死は、あくまでも、神に対して人類を贖うという「贖いの死」であったということに思いを徹したのであります。その死が「贖いの死」であればこそ、十字架上から叫ばれた「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」という言葉が「贖罪」死を死なんとする「贖罪者」の実存心情を示す言葉として、私共の魂をうつのであります。そして、そこにおいてのみ、贖罪を承認する者(神)と「贖罪」を全うした者(イエス・キリスト)との間の厳しい関わりあいを、垣間見ることができるのではありますまいか。私は、この叫びなかに「贖罪」ということが、いかに厳しい事件であったかとの意味を悟らずにはおれないのであります。私は、このような贖罪の死の厳しさを考える時、カルケドンが語るように、「キリストは神だ」と語り、キリストがもし神なら死ぬ筈はないではないか、神であれば、死んだように見せかけても、人のように死ぬ筈はないではないか、との理由から「神なるキリストの死」は真実の死ではなかった、それは一種の「神の芝居」であった、というような主張が、生まれてくるならば、それは実に大問題といわねばならないと思います。すなわち、彼を「真の神」と為すことによって、かえって、彼の「十字架の死」の真実性を否定することとなり、ここに、ケーリュグマ(福音)が破壊されるという、恐るべき結果が生ずることになるのであります。これは聖書が「神の子」となすキリストを「神」と変更した信条の誤りであります。そして、この点を問題点として私のキリスト論は始まったのであります。 (p121~122)

新約聖書の福音書は、ドケティズムの介入を許さないほど、イエス・キリストを真実の人として描いているのであります。そこには、彼の誕生が語られ、その誕生には系図までが付け加えられているのであります。彼は真の一人の人として生まれ、育ち、公の生涯に入り、そして死んで一個の死体とまでなって墓場に葬られたという、そのたんたんたる人間イエスの歴史的叙述は――たとえ、それがそのまま史実でなくても、その歴史性の主張には、いかなるドケティズムも介入し得ない「神」ならざる「人間の子」、「人の子」が示されているのであります。それとともに、その歴史の人が死人の中から甦えり、神的存在者として、使徒達及び初代キリスト教徒達を導いたということも、また、語られているのであります。しかし、決して歴史の人イエスが死んで甦えった後に「神」になったと証言しているのではありません。甦えったのちも、あくまでも「人」として、しかも、人としては、初穂的な神的人格として活躍されたことをしるしているのであります。(中略)「贖罪の死」が、常に、いっしょに、語られる「甦えりの主」であるという点に、歴史から遊離しないイエス・キリストの人格の秘義があるものというべきであります。 (p122~123)

聖書は、更に、この甦えりの主は――実は地上の生涯の前に先在していた人格であったーーと、このように証言して、われわれに一つの「天上の物語」を示しているのであります。そして、イエスは先在物語の中ではイエスとかキリストとかと名をもって呼ばれてはおりません。それは当然なことですが、釈義上重要なことであります。先在はイエスでもキリストでもなかったのであります。先在時は、ただ、「子」、「ロゴス」あるいは「神の独子」と呼ばれていて、「神と被造物との仲保者」であったといわれます。(中略)ここに「神の子」なる人格のもつ、一連の不思議な「時」の経過が語られているのであります。すなわち、それは、先在―受肉―死―甦えり―昇天―再臨であります。この一連の「時」の経過の中で、ドケティズムをあく迄も排除するものは「受肉」であり「死」であります。とくに受肉の思想は著るしく ドケティズムを排除致します。それと同時に、その特殊な人格は「神の子」と語っても「神」とは語らないところにあるのであります。(中略)受肉したのは「神の子」であっても「神」ではないのであります。ここにおいて、われわれは、聖書が「神」とは言わずに「神の子」と語っている神的な人格(イエス・キリスト)を信ずるのでなければ、新約聖書の語る福音を正しく理解し、正しく信ずることはできないと思うのであります。 (p123~124)

まず私は、創造の朝【あした】に、「創造の主」と呼ばれる神ご自身が、創造の業をすら委ねたまいし者(創造の仲保者)のあるという聖書証言に注目せしめられるのであります。それはコロサイ書、ヘブル書、ヨハネ伝が、主張しているところであります。また、神ご自身が人類を救うということは新・旧約聖書を通して語られていることでありますが、その救の業をすら委ねたまいし者(救済の仲保者)があって、それは「神の子」と呼ばれているイエス・キリストであります。それですから、私どもは「イエス・キリストは救主である」と告白するのであります。しかも、その救済は、あく迄も、具体的な歴史的事件として、すなわち、人間の歴史の側で行われた一つの事件として示されているという点に注目しなければならないのであります。 (p124)

聖書の根本思想からは、そして、イエスの思想からは、神は人間にとって知るべからざる、見ることも、み声を聞くことも許されていない存在であります。それ故、神は啓示されなければ人々に信ぜられ理解されるに至らないのであります。ここに、神の啓示者としての「神の子」、仲保者、イエス・キリストの「使命」があったのであります。(中略)彼は、受肉して、イエス・キリストとして、人間の歴史に現われてはじめて人に見られ、聞かれ、信ぜられ、そして「神」を啓示したのであります。(中略)受肉してイエス・キリストと呼ばれた人格が、神ご自身の啓示の極みなのであります。(中略)新約聖書がキリスト・イエスを、聖書的神と表現することのできなかった重大な理由は、彼が多くの人々と接触した歴史の人であった、ということと、彼が死んだという事実にあったのであります。しかも、キリスト教のケーリュグマの最初の重大な点は、イエス・キリストなる人格が死んで死人となって墓に葬られたというところにはじまるのであります。かかる死(贖いの死)の出来事、救済の出来事は、イエスを神と呼ぶことによって、崩れ、彼を真の人――(受肉者なる真の人)と認めることによって生きるのでありまして、それでなければ、甦りとによって示されるケーリュグマは意味をなさなくなるのであります。それ故、キリストを神と告白した四世紀の神学が、果して、聖書のテキストに忠実であったかどうか、そして、それはキリストご自身の言葉に正しく一致していたかどうかは、常に厳しく反省しなくてはならないと思います。キリスト教にとって、ケーリュグマが中心的な真理であるならば、ケーリュグマを破壊するような思想が常に福音の敵として警戒されねばならないということは当然のことだと思います。このように考えますならば、第四世紀において、ケーリュグマを危うくしつつーーしかも異教的な思想との関連のもとに形成された三位一体の思想の如きは問題であります。 (p125~126)






































































 

30.10.13

主著作より その2

(・・・続き 『福音論争とキリスト論』より)


聖書は、神性をもっていてもそのことですぐ「神」とは呼ばれない人格が、たとえば天使が、具体的歴史の場に活動していることを告げているのであります。東洋の思想からは、人以上でさえあればすぐ神になりますし、霊的な存在はみな神といわれるわけでありますが、中には人でありながら、生きている中に「神」となり、生神様になるような不屈な存在もあるのであります。しかし聖書では、神性をもっていて、東洋的にいうならば当然神々と呼ばれて然るべき存在が、決して神々とは呼ばれはしないのでありまして、その理由はあくまでも、唯一の神が厳然として居給う故であります。そういう意味において私は、神と等しい「神の子」でも「」または――「子なる」とよぶことは聖書の世界にはあり得ないことと思うのであります。しかもそれをキリストにあてはめるのは、「唯一神」の信仰をこわすことなしには可能なことではないと思われるのであります。  (p103~104)

ヨハネ伝の一章一八節に、テキスト上も内容上も問題があるというのであれば、ヨハネ伝全体から、そしてまた、更にヨハネ文書全体から検討して正しいかどうか調べてみるべきものであります。それと共にまた、聖書全体の思想と一致するか否かも検討すべきであります。このような心構えで聖書を読んでいきませんと、たまたまテキスト上問題のある所に来ました時に、これを正しく批判し、判断することが出来なくなるのであります。キリストについて語られる、先在時の呼称である「言【ロゴス】」とか「独り子」とか「独り子の神」(?)とかが時間を無視してそのまま受肉の人イエス・キリストにあてはめられるものか、また聖書があてはめているかとの問題は、充分検討されねばならないことと存じます。このような点からも、一・一八の問題は解決されるに至るかも知れません。  (p104~105)

聖書も一応史的文献でありますから、いろいろ写し間違いがあったことが考えられます。良いテキスト、悪いテキストなどということもいえるでありましょう。しかし、テキスト研究の立場から申しますと、良いテキストよりもむしろ、悪いテキストの方が興味をもって注目せられるものでありまして、相互に比較検討してみて成程ここには問題がある、それでその問題となった事情や理由を、追求してゆくという所に文献学的な面白い研究が開けてくるのであります。それで、ヨハネ伝において「独り子の神」というような言葉があるとか、無いとかいうこととは別に、一体ヨハネ伝には本当に「子なる神」という思想があるのであるかが、より高度の意味をもつ問題としてとりあげられなければならないことでありましょう。するとここ以外聖書のどこにも「子なる神」という言葉は、出て来ないということがわかります。それだけに問題となる言葉であることがわかるのであります。  (p105)

ヨハネ伝ではキリストは、私は父から派遣されたのだ、私は自分の思うことを実践しているのではない、父から命ぜられたことをしているのである、私の語る言葉もこれは自分から語るのではない、父が命ぜられた言葉を語るのである、と申され、父が命じなければ何事も出来ない、とさえ申しておられるのであります。キリストはこのように卒直に「出来ない」という表現をさえ用いておられるのであります。このような点に、キリストと神との関り合いの秘密がほのかに物語られているのではありますまいか。キリストの先在時は、本当に神と等しい方であった!それは確かに聖書の証言する所であります。ピリピ書には、そういう言葉が明らかに出て来るのであります。しかしここに問題となりますのは、もし「神」であったら、何故神と「等しい」という表現をとるのかということであります。キリストはその先在時では「神」であったといってしまえば、それでもう解決がついて、わざわざ神のように、とか神と等しく、とかと語られる必要がないのではありますまいか。  (p106)

 
疑い深いトマスが甦りの主を見て「我が主、我が神よ」と叫んだのでありますが、これは甦りが、それ程の驚きを与えたとみてよいのでありましょう。(中略)しかし同時にイエスはここで「我が父」(ヨハネ二〇・一七)と再び「神」を呼んでいることに気がつくのであります。すなわち、十字架上においては、イエスには「我が父」が失せ、ただ「わが神」のみがいましたのでありますが、その「わが神」さえも見失われるに至ったことが、贖の死の真相であったのであります。要するに問題は、弟子が彼を何と呼んだかより、彼は自らを何と示したか、そしてまた自らを何人となすことを求めたかにあるのであります。 (p107)

唯一の神であるとか、創造主であるということに優先するのは先ず、主イエス・キリストの父と呼ばれる「我らの父なる神」であるということであります。すなわち、あくまでもイエス・キリストによって啓示された神、「父なる神」において、創造主であり、唯一である神を知るのでありまして、イエス・キリストなる仲保者を除外しては到底知り得べくもない神であります。この唯一の神はまた、見えない隠れたる神で、霊なる神であり、天にいます父と呼ばれる神であります。霊であるとか、天にいますというのは、隠れたるとか、見えないとかいうことを意味する言葉といえると思います。(p111)

聖書では神は創造主(creator)と呼ばれておりますが、然し創造の実践者は御子と語られているのであります(ヘブル一・二、コロサイ一・一六、ヨハネ一・三、三・三五)。ヨハネ伝で、遣す者(神)と遣される者(神の子)といった関係が、創造の時には、「命ずる者」(父)と「命の実行者」(御子)という関係になっているようであります。先在で「独り子」とか「御子」とか呼ばれ、ロゴスと呼ばれる人格が、いわば創造の責任者でありまして、創造の仲保者ともいうべき責任者であります。(中略)聖書の語るところを綜合して考えますと、御子は父なる神に対し、創造の破れの責任をとりなさって受肉して世に来られた、それは破れの直接原因たる人間の罪の解決のためであったというのであります。そしてこの受肉した方を、我々はイエス・キリストと呼んでいるのであります。そしてこのキリストは、受肉前は「名」をもって呼ばれたことがないのであります。 (p111~112)

甦りなさったキリストは、受肉前の「御子」「独り子」(中略)に戻られたかというに、そうは語られてはいないのであります。聖書にははっきりと、甦った主は、甦りの体をもって先在時とは異なる「神の子」(中略)として、地上の名をそのままに、イエス・キリストとして天にて、執成す者になったというのであります。 (p113)

私共が御国に召された時には霊魂だけがふわふわしているというようなギリシャ的なものではなく、やはり父なり、母なり、或は兄弟なり、それが地上の肉の姿で相まみえるという、具体的な救いの状態が示されているのであります。 (p114)

私は、とかというものは、それぞれ主体を持つ存在だと思います。父は父、子は子でありますから、父と子と表現されるものは複数であって単数とはならない筈であります。それ故、父なる存在と子なる存在が、区別出来るが分離出来ない〝一つ〟なる存在となり得るとは考えられないのであります。私は主体性をもった父と子というものは、全く別なるものとして理解すべきであると思います。 (p116)

四世紀の神学にどうして、我々までもが屈服しなければならないのでしょうか。私共は、四世紀の神学を乗り越え、聖書の語るところに、すなわち霊が激しく働き、教え給うた原始の福音に立ちかえるべきではありますまいか。藤原先生のキリストは、聖書のキリストではなく、「四世紀のキリスト」であります。もし藤原先生のいうように、キリストが神であれば、クリスマスは神が生れたことになりはしますまいか。 (p118~119)

神は人の表現をとるなら固有名詞をもった個人、「ダビデ」なら「ダビデ」という二人とない唯一の人格をさすべきであります。それ故ダビデの子がダビデでない限り、「神の子」は神ではないのであります。  (p119)

黙示録は御座に座する方(神)と、御座の前にいる永遠から屠られ給いし神の「小羊」とをいつも対立して語っているのであります。しかしなるほどあやしい所がないわけではありません。けれども、小羊といった表現を以て表わされた人格が「神」であるとか、または「神」を意味するというようなことは、聖書の立場からはないことなのであります。「人」を以て示してさえ、「神」を意味することはないからであります。 (p120)

「ダビデの子」なる名称はただ地上においてだけの名称でなく、甦って後の天においても用いられていることに注意すべきであります。これによれば、我等の地上の生活は消え去るものではなく、天においても――記念されて続けられることを意味するものでありましょう。 (p120)


キリスト・イエスは、いわゆる三位一体の「神」でなかったからこそ、ゲッセマネにおいて神へ祈りを捧げ、御心ならば我よりこの盃をとり去り給えと訴えたのでありまして、決してドラマの演出ではないのであります。神と一体ならば、いわば神とのひもつきならば、もう一切が何から何まで解っているのでありますから、祈る必要もないし、血の汗を流して訴えるということもいらないのであります。 (p120~121)


十字架に上った時には、本当に贖の死を遂げるものとして、神のみ顔が消えてしまったのであります。彼はもう、父よ、と呼べなくなりました。それ故に詩篇の言葉、日頃暗誦なさっていたかもしれないその詩篇の言葉の「わが神、わが神」という他人行儀の言葉を用いて、而もその「わが神、わが神」が「何で我を棄てたもうたのか」と叫んだのであります。いつでも神を「父よ」と呼んでいた人格が、十字架の上で我が神としか呼べず、しかもその神に何故私を捨てたもうたのかと、神との断絶、神の審きによる滅びのギリギリのところまでをくまなく体験して、死と呼ばれるものの真の死を、死に給うたのであります。それが贖罪の意義なのであります。ただ死んでしまえばそれでいいのではないのであります。彼の死があくまでも贖罪の死であることにこそ意義があるのであります。私はそういう十字架の福音を考えます時に「神の子」キリスト・イエスはあくまでも「神」と呼ばれてはならないこと、四世紀の神学をもって律すべきでないことを教えられるのであります。 (p121~122)

キリスト論は、各自の信仰告白以上に、聖書神学の課題としてとり上げられるべき性質のものであります。初代のキリスト教徒達のキリスト論は、いわばその多くは、平信徒神学者達によって論ぜられたものであった事を思いますなら、現代に於ても平信徒が自由に神学し、自由に発言して、旧来の伝統の束縛を去り、真理に肉迫する事が必要でありましょう。 (p127)

「言【ロゴス】」は「神の言」ではありません。勿論「神の語る神の言葉」でもありません。ブルトマンの正しく指摘しておりますように、この「言」には神のといった修飾がその上についてはいないのであります。ただ「言」とのみ語られていることに充分注意しなければなりません。ブルトマンによれば、ヨハネ伝の「言」は旧約聖書の中にも、ユダヤ教の中にも見出せない言葉であると言います。(中略)「言」はキリストの受肉前、すなわち、先在時の呼称として使用されているものでありますが、受肉した後の「具体的神の子キリスト」を指しては一度も使用されたことがないのであります。「ロゴスとはキリストだ」(中略)は明らかに間違いでありまして、正しく表現するならば「ロゴスの受肉者がキリストだ」というべきであります。(中略)ヨハネ伝の基盤をなしているのは「言」が受肉した(一・一四)という告知であります。すなわち、ヨハネ伝は、ロゴスの受肉を説いても、決してその逆の受肉者のロゴス化は説かないのであります。それ故「言」はキリストだということも、キリストが「ロゴス」だということも、何れも明らかな間違いであります。クルマンのいう「時」が、聖書では重大な意義をもつものでありまして、「時」を無視しては何事も語られてはいないのであります。それ故、先在特有の呼称がそのまま受肉後の歴史の人(キリスト・イエス)に使用されるということは、決してあり得ないのであります。先在――受肉――死――昇天を語るときに、その間の「時」を無視して、平板的に物語られることは、新約聖書には見出せないことであります。(中略)「神の言」が、人格として語られているのは、原則的にはないのでありますが、ただ黙示録の一ヵ所だけに (一九・一三)使用されているのであります。ここではたしかに、キリスト・イエスを指しております。しかしそれも昇天したキリスト・イエスにあてはめられているのでありまして、決して歴史の人キリスト・イエスについてではありません。歴史の人キリスト・イエスは一度も「神の言」といわれたことがないのであります。 (p129~130)

ヨハネ伝の「言【ロゴス】」について、問題となるのはやはり、「言は神であった」であります。ヨハネ伝冒頭のこの短かい一文(一・一)において、二度出てくる神【セオス】が、同一ではないことは、冠詞の有無ばかりでなく、その意味の上からも明らかであります。「言はセオスと共にあった」のセオスと、「言はセオスであった」のセオスとをいずれもただ「神」と訳してよいかは問題であります。無冠詞のセオスは、セオスでもこの場合、実体的神を指しているわけではないからであります。それ故、両方共に神とだけ訳しては不適当であります。「神と共にあった」の冠詞をもつ神は、ヨハネ伝が語る父なる神であります。しかし「言は神であった」と訳されている無冠詞の神は、意義の上からも父なる神を意味するものではありません。(中略)あとの方のセオス、すなわち、冠詞なきセオスがもし、なんらか実体的神、藤原氏の言う「子なる神」を指すものといたしますならば、ロゴスがもう一人の神となって、二柱の神が語られることになり、多神論への屈服となります。(中略)要するに「ロゴスは神であった」の冠詞なきセオスを、神と訳さず、説明語の divine と訳したモファット訳は、原著に忠実なものといえましょう。ヨハネ伝が、ロゴスをキリストの先在時の呼称としたことは、明らかであります(一・一四)。しかし、それだからといって「時」の介在を無視して、ロゴスはキリストだ、とは決して語ってはいけないのであります。それと同様に、ロゴスは宇宙を創造した(一・三)と語っても、(中略)「キリストは万有の創造者」だ(一一六頁)とは語ってはならないのであります。ヘブル書、コロサイ書を見ても、創造の業をなした人格を、御子と語っても決して、キリストとは語ってはいないのであります。要するに、先在時ではいかなる呼称が用いられても、キリストとも、イエスとも語られることはなかったのであります。(中略)「神の独り子の名」(ヨハネ三・一八)とは、独り子が受肉してつけられた名、すなわち、キリスト・イエスであって、「独り子」と「名」との間に、受肉の出来事が介在しているとみるべきであります。  (p132~134)

ヨハネ文書にのみ見られる「独り子」は、ヨハネ伝に四回、ヨハネ第一書に一回見られますが、ヨハネ一・一八では、「この独り子」に「神」がついていて「独り子の神」となっております。「独り子の神」は全新約聖書を通じてただここにだけ記されており、キリスト教史における「子なる神」の教理出現の聖書的根拠になっているものであります。(中略)写本問題については、モノゲネース・セオス(独り子なる神)はたしかに三、四世紀迄の東方アレキサンドリヤ学派で権威とされていたものに出て来ます。しかし、モノゲネース・フィオス(独り子)の方も二つの例外を持ってはおりますが、全てのラテン系写本に見られます。(中略)写本にあるかないかの問題については、一応コイネ写本は問題としても、優れた古シリヤ訳写本にある事はその有力さを失わぬものと云えるでありましょう。(中略)日本語訳で「独り子の神」と訳されたものは、文法上から見てそのように訳されてもよいのですが、ヨハネ文書の使い方から云って、アクセントはセオス(神)には無く、むしろモノゲネースにあるのであります。それで、ヨハネ文書的な訳し方をしますならば「神なる独り子」と訳す方がよいでありましょう。(中略)もしアクセントがセオス(神)にあるならば――すなわち、神を実体的に表現するならば、「ホー」なる冠詞をつけるのが自然であります。要するにアクセントが「独り子」にあるという事は、ヨハネ文書中他に四回「独り子」なる言葉が出て来ていることからも充分考えられる事であります。しかも独り子丈で充分意味の通ずる箇所に、神なる、という問題の説明語がつけられてある事について、冷静なテキスト・クリティクを試みる必要があるでありましょう。(中略)一・一八について、「独り子」とするも「神なる独り子」としても、或は又「独り子の神」としても、何れもイエス・キリストの先在時の呼称であります。それ故――受肉前、受肉後といった「時」の介在を無視して、只平板化してキリストは「子なる神だ」「神なる独り子だ」と呼んではならないのであります。すなわち、一・一八についてはテキスト上「独り子の神」を採用したとしても、それでキリスト・イエスを「子なる神」とする根拠として用いるには「時」がきびしく介入していて、それを妨げている事を知らなければなりません。それ故一・一八のテキストについては、モノゲネース・セオスをとったとしても、父の懐にい給うた神格者である「独り子」が受肉して世に来て、人には見えない天にいます「父なる神」を啓示したと解すべきでありましょう。(中略)セオスにアクセントをおき、セオスを実体化して「子なる神」「独り子の神」と解するよりは、あくまでも「独り子」にアクセントをおいて「神格をもつ独り子」と解すべきが至当でありましょう。 (p138~144)
 

ヨハネ伝のキリスト発言の中には「子なる神」なる神については只の一度も語られてはおらないのであります。すなわち、キリスト・イエスはいかなる意味においても自らを「神」として物語り且つ示しはしなかったのであります。たとえ神にひとしいとまで語られても、神への従属的地位を外す事がなかったのであります。ヨハネ伝のキリスト・イエスは、いわば神とひとしいが、神そのものではあり給わぬ「神の子」でありました。(中略)要するに、ヨハネ一・一八はそのテキストのいかなるにせよ、歴史の人キリスト・イエスを「子なる神」と為す根拠とはなり得ないのであります。 (p145)

ヨハネ第一書五・二〇について(中略)「また神の子すでに来りて、我らに真の者を知る知識を賜わりしを我らは知る。しかして我らは真の者に居り、その子イエス・キリストに居るなり、は真の神にして永遠の生命なり」であります。この「真の神にして永遠の生命なり」といわれるは、その前の「その子イエス・キリスト」を指すように思われるのであります。そうすればこれは、使徒行伝二〇・二八以上にイエス・キリストを「真の神」と呼んだ明白なテキストとなるわけであります。しかしこの「彼」は「真の者」を指すと主張する人もありまして、問題となる「彼」であります。ヨハネ第一書の性格は神の子を対比しながら論述していることであります。「神がその生み給える独り子」を世に遣わして、生命を獲得せしめ給うたことの中に「神の愛」が顕現しており(四・九)「神がその子を遣わして、我等の罪の為に宥【なだめ】の供物となし給うたことが愛そのものである」(四・一〇)と教え、「御父と御子」(二・二二―二四)とを明白に区別して論述しております。そのヨハネが、最後の五章二〇節の短文の中に、再び「神の子」と「神」(真の者)とを区別しながら論じておりますが、この二〇節なる一節の後半に「我らは真の者に居り、その子イエス・キリストに居るなり」と語ってから「彼は真の神にして、永遠の生命なり」と申しているのであります。これは文章として見て問題であります。(中略)これはむしろ、ヨハネは「神」と書くべき所を「真の者」と書いてしまったので、あとでその「真の者」たる彼こそ、真の神であると説明したものと解する方が、文章としても内容上からも妥当のように思われるのであります。(中略)私は一応、イエス・キリストを「真の神」といっているかの如く思われる、この言葉をとりあげてみました。しかしヨハネ第一書を貫く、イエス・キリスト観より致しますならば、イエス・キリストは「神」に対する「神の子」であり、「御父」に対する「御子」であって、決して「神」とはなっておらないのであります。それ故、問題の五・二〇もまた「テキスト」を検討するとともに、あくまでもこの書全体の光りで判断すべきものであると存じます。かく検討を加えてみますなら、これは「イエス・キリストを真の神」と呼ぶ意味のものではないことが理解されるのであります(中略)ブルトマンは『ヨハネ伝全体の主題は、「言は肉体となった」(一・一四)の記事である。これはドケチズムの教師達への防衛である』と述べておりますが、ヨハネ第一書においては、言葉の上では更に一層明白に、イエス・キリストの「肉体」性を主張して、ドケチズムへの戦の書であることを教えているのであります(四・二)ドケチズムとは一言でいえば「イエス・キリストは神である」であります。(中略)死も、甦りも、みなみせかけで、「十字架の福音」もないわけであります。(中略)当時「イエス・キリストは神である」のドケチズムと、戦うために書かれたヨハネ文書の中でも、特にこの第一の書は冒頭から、決戦の態勢を持して書き出しているのであります。イエス・キリストは特殊な人格だが、ドケチズムのいうように「神」ではないと。それが主題であり、それと共にドケチズム派の非倫理性への批判をかねて論じたものであります。(中略)要するに、対ドケチズム宣言の書としてヨハネ第一書を見なければ、真にこの書の主張する所とその価値とを、理解できないのであります。それ故、五・二〇のように文法上問題の所が出て来ましても、その文書の書かれた背景と目的とに反するような読み方をするべきではなく、目的に合致する読み方こそ正しいものと言わなければなりません。 (p146~151)

ロマ九・五は聖書の中で、句読の仕方により幾通りに読める一例として、よくとり上げられるものでありまして、サンデー等の研究はよき引合いに出されるものであります。(中略)五節に入って父祖達も同胞に属しており、キリストとても肉によれば、同胞の系統から世に出でたものである、というのであります。肉によれば、と明記して歴史の人たるキリストを指しております。しかるに五節の後半で、そのキリストが万物の上にあり、永遠に讃むべき神なり、と読まれるのであれば、意味の上からもどうでありましょうか。歴史の人が万物の上にあって、そして永遠に讃むべき神と語られますならば、パウロのキリスト観も神観も直ちに崩壊してしまいましょう。(中略)パウロの慣習によれば、永遠に讃むべきものは「創造者」であり(ロマ一・二五)「主イエス・キリストの父なる神」(コリント後一一・三一)であります。又聖書に於て讃むべきかなと讃美すべきは「私たちの主イエス・キリストの父なる神」(エペソ一・三、ペテロ前一・三)であります。 (p153~155)

ギリシャ語の意味するプロスクネオは、神を礼拝する時と、人に対して丁寧な挨拶をする時とに、等しく用いられていたのであります。(中略)氏は、福音書に、このプロスクネオがイエス・キリストに用いられた所があり、そのような場合、イエスが、プロスクネオの態度をとった人のその態度を拒否することもなく、嘉納しておられるのは、彼が自らを神と自覚しており、否、神であったからである、とこのように論じ、もしキリストが神でなければ、キリスト以上の冒者はないことになる、と断言し、「神以外のものを拝することは、偶像礼拝だと聖書は教える」(一〇〇頁)と断乎と勇ましく言い放っておられます。その言葉の一部は正しくあります。しかし、このようないわゆる一部分の正論が、しばしば飛躍した結論をうち出してしまいますのは、神学を真に神学したことのない神学校卒業者の、よく犯しがちな誤りであります。(中略)イエスを、癒すもの――おそらくキリストではあるまいかと考えた癩者が、敬虔なプロスクネオの態度をもって、イエスに相対した(マタイ八・二)ことをもって、イエスを神として拝した、と解釈したのは失敗でありました。(中略)唯一の神を信じていたユダヤ人は、神殿の壊れぬ間は神殿に詣でて、神を礼拝したのであり(ヘブル九・一)偶像神を拝する異邦の国民【くにたみ】は、それぞれ偶像神の前に額突いて拝んだものでありまして、道行く人をつかまえて、神として礼拝を捧げるということはありませんでした。(中略)いわゆる「生き神様」といわれるものでも、礼拝の対象となる時は、儀式を伴うものでありました(徒一四・一一―一三)。異邦の女が、イエスへの信仰の極みに、彼女自身が生来神となす者へ捧げていた、敬虔な態度をもって挨拶したからとて(マタイ一五・二五)、イエスがそれをもって、彼を神としたことと認めなければ、その態度を叱る理由も、拒否する理由もなく、そしてまた、あえて嘉納するということもあり得ないのであります。(中略)要するに、プロスクネオは、神礼拝のみを意味せず、高度の敬礼を表わす際も用いられるものであることを知りますならば、イエスが、そのような態度をとるものを、拒否しなかったことはあたりまえでありまして、それをもって、イエスが神そのものである証拠、と断じたのはまことに、思慮なき軽卒な判断といわねばなりません。 (P161~164)

北森教授も金井為一郎先生も藤原氏も、黙示録をとりあげて、イエス・キリストが礼拝の対象となっているから「神」だ、と主張しました。しかし「神のみを拝せよ」(一九・一〇、二二・九)とは黙示録の重大宣言であります。(中略)黙示録の舞台には、「御座に座する者」――その姿は光につつまれ、形としては見ることのできない方が居給うことが語られており(中略)それに反し、昇天したキリスト・イエスを指す神の小羊は、いつも形が見えており、その行動も鮮かに語られております。聖書では、小羊をもって表現される人格が、を示すということも、神として拝されるということも決してないことであります。ここにはっきりと申しておきたいことは、私は、神の子にいます主イエス・キリストを、信仰の対象として、礼拝の対象として仰ぐものであります。神の子は神としてではありませんが神と等しい「神の子」として、私には礼拝の対象であります。しかも、ただ「神の子」なる故ばかりでなく、あくまでも彼は私の「贖主」でありますから、私にはプロスクネオとラトレウオの対象なのであります。(中略)北森教授も金井先生も、藤原氏と等しく五章をとり上げ、神と一緒に小羊(キリスト)をも礼拝したと解釈し、かつ主張なさっておられます。実際そうかも知れませんが、そうでないかも知れせん。黙示録にはよく似た場面が度々出てきますから、よく対比してみるべきでありましょう。四章では、全能者としてまた創造主として、神のみが礼拝されております(八―一一)。七章では、救は神と小羊とから来る、と讃美されながらも、ひれ伏し拝すときは神を拝す(七・一一)とことわり、十一章では、この世の国が、われらの主とそのキリストの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう、と大声が天に轟きながら、いざひれ伏して拝するときは神を拝す(一一・一六)と語られ、また、創造主を拝せ(一四・七)とか、或はまた直接神に呼びかけて、あなたを伏し拝む(一五・四)とか、礼拝の対象を極めて明白に、御座にいます方(一九・四)と限定していることなどは、注目すべきことであります。すると五章だけが例外と思えなくなるのであります。(中略)黙示録テキストの上からは、神のみを拝せよ、という時に、神の子はどうなのかが明らかでない所もありますが、どうも礼拝されてはおらないように思われます。なお、黙示録の舞台においては、小羊のいます位置は、神の御座より前方にずれているようであります。そして、いつも光景の中に入って来て、その行動が見えており、あくまでも見える存在となっております。しかし、それに反し、神は見えないようであります――特に終末までは(二一・三)。それ故、救の完成されるまでは、「神を見る者は死ぬべし」が強く支配しているのでありましょう。黙示録におけるイエス・キリストは、永遠より屠られたまいし小羊として、原歴史的表現がとられております。しかし、屠られた小羊は常に、神に対して、民の為に屠られるものであって、小羊自身が「神」であるとか神を表すとかいったことは、旧約聖書の中にも、もちろん黙示録の中にも見出せないのであります。祭壇が設けられております以上、屠られたものは、神の座より祭壇に近いところにいるわけであり、(中略)当然大祭司の立つ恒例の場所である祭壇の近くでなければなりません。 (中略)要するに、ただ神のみを拝せよ、といいながら黙示録の世界では、神の他に、神らしき存在としての小羊がいるのでありますが、小羊はどうなるのか、五章に疑わしい所が出て来ますが、その他では礼拝されてはいないようであります。(中略)「ダビデの子孫」はいかなる意味でもと呼ばれることはありません。ダビデの子孫を「子なる神」とすれば、ダビデは神の父――父なる神になってしまいますから。 (p167~170)

キリスト・イエスはあくまでも「神の子」としてのみ、その人格の秘義とその救済活動とが理解されるものであります。「神の子」とは、先在、受肉、死、甦、昇天、再臨を通して語られる呼称であって、救済史を貫く意味をもつものであります。(中略)黙示録は、人としては、救の初穂であるキリスト・イエスは、天上では「神」としてではなく、自らダビデの子孫として名乗り給うことの中に――勿論その実体は天使とひとしい(ルカ二〇・三六)霊の体をもっていても、確に「人」たることの中に、兄弟と呼び給う「人間」(ヨハネ二〇・一七)の救の終末時の実状も約束され、物語られているのでありまして、これは実に大きな問題であり、新たな契約であります。 (p170~171)

キリスト・イエスの場合は、真に人であるという点は動かし得ないことでありますが、その他に語られ、表現される言葉が、「真に神」ではなく、真に「神の子」なり、であります。これが聖書の告知するキリストであります。実にキリストこそ、独り子と呼ばれた神の子の、天より受肉して世に来り給うた人格であります。聖書の告げる通りに、真【まこと】に人(ヨハネ一・一四、ヨハネ第一書四・二)であって、真に神の子(マタイ一六・一六)と告白せらるべき人格であります。「神の子」なる呼称こそ、先在、受肉、死、甦、昇天、再臨、を貫いて語られる唯一の存在であって、聖書の語る秘密は、この「神の子」なるイエス・キリストにあるのであります。これはいかに神と等しくても、イエス・キリストを「神」としては理解出来ない秘義なのであります。 (p181)

主イエス・キリストがエホバなるイエス・キリストという意味だと解釈致しますならば「時」を無視し、歴史的啓示を打忘れた、非聖書的発言と言わねばなりません。エホバは旧約聖書では主と呼ばれた神でありました。しかし新約聖書では神はエホバと呼ばれることはなく、又主とも呼ばれることはないのであります。旧約のエホバは新約ではイエス・キリストの教え給うた所に従い「父なる神」と呼ばれているのであります。(中略)イエス・キリストを主と告白することは、エホバとか神とかと告白することでないことは、主と呼ばれるさいに、しばしば同時に、神が――「父なる神」が呼ばれていることで知りうるのであります。父なる神が唯一の神である世界に於て「主イエス・キリストの父なる神」と呼ばれる時に、主が「神」をさしたり、イエス・キリストが「神」であったりする筈はないのであります。新約聖書では、旧約を引用した際は別でありますが(黙示文学を除き)とはイエス・キリストが神にとり立てられた地位(徒二・三六)であって、もはや「神」を意味して語られることはないのであります。 (p183~184)

キリスト教の起源は、死人となり墓場に葬られたキリスト・イエスの復活によるものなのでありますが、イエス・キリストに於ける死は不定過去形で、一回的過去の事件である事を示しております。それに反し復活は、常に完了形の受動態であります。すなわち復活は過去に完了し、それが現在に及んでいると云うのでありまして、イエス自身の中なる力による復活ではなく、彼の外からの力による復活、神の力によって甦らせられた事を意味しているのであります。聖書に於ては神と呼ばれる人格に死はなく、必然に復活もありません。新約聖書の証言からはもしキリスト・イエスに死がなく、復活がなければ贖罪の意味は消えてしまいます。すなわち、ドケチズムがキリストは神である、と主張してその肉を否定し、必然に死とそして復活を否定しました所に、福音を危くする恐るべき異端性があったのであります。キリスト教の福音がイエス・キリストの十字架である限り、イエス・キリストの受肉性、歴史性――徹底的人たる事を否定してはならないのであります。否限りなく主張されなければならないことであります。かかる聖書の告知する受肉を徹底致しますならば、受肉者(肉体をもつ人)は神と呼ばれずあくまでも歴史の人であり、しかも歴史の中からの歴史の人ではなく、天より来た歴史の人でありまして、この事が受肉した神の子の意味なのであります。 (p185~186)

私には旧来のキリスト論に於て、真に人と告白する時に、一体どの点までキリスト・イエスの人なる事が追求せられたことか、そして又真に神であると告白する時に、一体どこ迄その神である事が深く証しされ、探られたかが誠に疑問に思われるのであります。(中略)私がキリストをただの歴史の人となす事に反対致しますのは、彼は天より来た――天の思い出を持つ、すなわち、神より命ぜられた事柄の鮮かな記憶に生きる「神の子」であったからであります。そして又彼を神と仰がないのは、受肉という出来事は聖書の「唯一の神」に関る出来事ではなく、それはあくまでも神にとっては他者である「御子」と呼ばれる人格に発現した出来事であって、そこには常に唯一の神が彼の父として――他者としていますが故であります。そして彼の死が真の死である為であります。要するに、イエス・キリストの受肉前の状態が、その神的姿にも似ず神と呼ばれずに「神の子」と呼ばれたのは、父なる神のみが「神」と呼ばれる「唯一の神」であったからであります。(中略)後の世の教会がイエス・キリストを「真の人」として、聖書証言に従い十字架の福音と甦りの福音を信じつつも、その昔戦ったドケチズムの「真に神」を附加したことは、ドケチズムに勝ちながらもその異教的魅力に打ち負けたことによるものと見なければなりません。 (p186~187)

ヨハネ一〇・二三以下三八までについて(中略)イエスの言われたのは、二五―二九節のように、彼にとって、神がであることを主張して、それによって彼が「神の子」であるということをしめし、その終りに「わたしと父とは一つである」と言ったのであります。すると、それをユダヤ人は自分を「神」とした言葉と解釈し、それ故神を汚したこととして、石で打ち殺そうとしたのであります(三三節)。それで、イエスは「父と一つ」といった言葉の、いわば解釈の誤解――ユダヤ人が「神」と解釈した、その誤解をとく為に、『父が聖別して、世につかわされたものが「わたしは神の子である」といったからとて、どうしてあなたは、神を汚すものというのか・・・・』と答えられたのであります。「父と一つ」とはイエスにおいては「神の子」を意味することでありました。(中略)キリスト・イエスは「父と一つ」を北森教授や藤原氏の如く、であること、神と一体であることの意味に語っていないのは、キリスト・イエス御自身で「神の子」の意味だと語っておられることで、理解されるのであります。そしてその「神の子」とは、ユダヤ人のいうように、「神」ではないからこそ、どうして「神を汚すもの」というのかと反問されたのであります。(中略)ユダヤ人が、イエスが自らを神としたものと解釈して打ち殺そうとしたのは、イエスが「父と一つである」といった時であり、決して氏の言われるように「神の子」、といった時ではありません。またその後に、イエスが「父と一つである」ということは、「神の子」を意味するのだ、と説明してからは、ユダヤ人はイエスを殺そうとはせずにむしろ、「イエスを捕えようとした」(三九節)というのであります。要するに、このテキストは、ユダヤ人が――イエスが自らを「神」となしたと誤解したときは殺そうとし、「神の子」と言明したときには捕えようとした、という出来事を語っているのであります。 (p187~189)

キリストが被造物であるといったような意見を、私は、一度も言ったことも書いたこともありません。キリスト教の初歩を学んだだけでも、そんなことを言う訳も、書く訳もないのであります。しかし、私は、その先在時の「御子」なる人格が、果して、被造物であったか否かについては、論じたことは一度もありません。天上の事柄は、聖書の示す範囲をこえて論じてはならないと信じているからであります。(中略)創造の実践者たる「御子」と「父なる神」との間には、果して創造行為が介在しているものか否かは恐らく人の議論を超える性質のものではありますまいか。なお又、一体「父なる神」と先在の「神の子」との関係の真相を究明しなければ、どうしても福音的理解に達し得られないものかどうか、――私には福音的理解については必ずしも必要なこととは思えないのであります。日本語訳の旧い訳には「神はその生み給える独り子を世に遣わし・・・・」(ヨハネ第一書四・九)と語られて、生み給えるという言葉で神との関係を示しております。又創造物に先立って生れた方(コロサイ一・一五)ともしるされ、父と子との関係は、創造関係より生む関係の方が真実に近いのでありましょう。父が生むもおかしいのですが、そのような言葉でしか示されないものとして、理解すべきものなのではありますまいか。しかるに、黙示録三・一四には、「神に造られたものの根源である方」と語られてありますが、この「神に造られたものの根源である方」というテキストのテキスト・クリティクが、なかなか簡単に処理出来ないと思われましたので、深く触れることをしなかったのであります。少くも、創造の出来事においては、創造の側に立つものとして御子が語られており、この意味においては、聖書の語る被造物の側に御子が立つことはないようであります。ただ父なる神との関り合いは、父と子と表現される、そのような表現でのみ語られ、又それ以外にはいかなる表現を以ても語られ得ない関り合いだ、と言うべきものなのでありましょう。そうすれば、父と子との関りの中には、創造の業の介入を認めることが出来ないのではないか、と思われるのであります。 (p190~191)

私は、ヨハネ一・一の短文中においてこそ、セオスに冠詞のあるかないかが、重き意義を持つものであると主張したのであります。両方のセオスを、実体的に解釈すると二神論となり、同一のセオスを示すことになればこの一文は、「言は父なる神と共にあり、言は父なる神である」といった変なことになりますので、冠詞をもたないセオスは説明語として、モファツトの如く訳すことが正しい、と主張したのであります。(中略)氏は、どう感違いしたのかすっかり昂奮して、神【セオス】に冠詞のない言葉を聖書の中に、夢中になって探したようであります。遂にありました。マルキオンが問題にしましたロマ一・一八であります。(中略)『小田切君によれば冠詞のない神は神ではなく被造物であるから、そうするとロマ一・一八は「被造物なる神の怒り・・・・」ということになるが、それでよいか』であります。冠詞のない神が被造物であるとは、私の意見の何処から引出したのかわかりません。(中略)ロマ一・一八は「神の怒り」でよいと思います。一般論としましては、セオスの冠詞の有無で、一定の型にはめた議論をすべきでないと思います。しかし少くもヨハネ一・一については、文体上及び文意上からも問題になることは当然であります。冠詞は書き落したり、写し落すこともあるでありましょう。しかし、一応その有無について注意を払うべきことは当然でありますが、一般論としては「神」と訳してよいと思います。ロマ一・一八の場合の如きは「神の怒り」でよいと思います。しかし、この神の怒りを、冠詞のない理由で神的怒り――意味の上からは聖なる怒りと訳出したといたしましても、それ程文意を乱すものとは考えられません。しかし、藤原氏のようにこのところを「被造物なる神の怒り」と訳して見せるのでは、問題になりません。 (p192~194)

婚姻の秩序は、たとえ如何に「一体」と語られても、あくまでも夫は夫であり、妻が妻であります。花婿は花婿で花嫁は花嫁であります。そのようにキリストはキリストで、教会は教会であります。それ故、第四世紀になって出現した三位一体の教義の語る「一体」を、もし以上のような意味に解釈いたしますならば、父なる神、神の子、聖霊が一体として語られてよいのでありまして、三位なる非聖書的言葉の作製は必ずしも必要が無かったのではありますまいか。聖書の思想からは父・子・聖霊が一体であるばかりではなく更にそれに、救われた人々の群れや万有もまた加えられて、一切が一体となるのであって「一体」の意義は更に更に拡大されているのであります。勿論終末時を指して語られる以外、父・子・聖霊については、常に「一体」が語らるべきでありましょう。万物がキリストに帰一し(エペソ一・一〇)そのキリストが神に帰一して(コリント前一五・二四及び二七~二八)ここに一つの王国――神の国が形成せられ、父なる神・聖霊・神の長子とその兄弟らと、更に天使と語られる存在や万有の全てが一つとなり、一切が一つの国――王国のものとなるというのが、聖書が物語る神の国の完成であり、一つとなることの意味なのではありますまいか。 (p197~198)

「父と我とは一つなり」(ヨハネ一〇・三〇)の一つは三位一体の教義に於ける一体とはその意味を異にしないでありましょうか。そして私にはこのテキストを三位一体の教義に合致すると見ることは、適当とは云い難いと思われるのであります。なぜなら一つなりを聖書の語る一つの思想から論じますなら三位一体の語る意味の一体とはならないからであります。すなわち、旧約並びに新約聖書の告げる「一体」の思想からは、第四世紀神学が告げるような三位一体の思想は生れては来ないのであります。(中略)要するに、聖書の一体の思想からは三位一体の教義のもつ一体は出ては来ないのでありまして、第四世紀の神学を以て、錦の御旗式に考え、その教義不信を以て異端となす事は、聖書的には正しいとは言えないのであります。 (p198~199)

出エジプト記三・一四の神の御名にわれは実存すると云った哲学的思惟を移入して解釈しようと試みることは正しい聖書釈義と云えないでありましょう。 (p200)