1.11.13

主著作より その3

(・・・続き 『福音論争とキリスト論』より)


イエス・キリストにおけるエゴー  エイミは氏が「これは大変な言である」(九七頁)と驚いたように解釈すべきものではないのであります。イエスにおけるエゴー  エイミは、ブルトマンが正しく主張しておりますように、これは決して「われ在り」を意味するものではありません。あくまでも「――、それが私である」という意味であります。(中略)エゴー  エイミだけを独立させてわれは在るとの宣言と解釈するのは間違いであります。(中略)エゴー  エイミのエゴーはそれ故主格述部であって主語なのではありません。すなわち生きたパンや光など――それは私なのであるとこのように語ったのでありまして、ギリシャ語では I am he (ヨハネ四・二六)と It is I (マルコ六・五〇)の間の動詞の人称に変化はないのでありまして、両方ともにエゴー  エイミであります(ブルトマンによる)。(p201~202)

イエス・キリスト御自身において「」から「わが神」となり再び「」と呼ぶに至りし給いしことが福音の出来事であり、(中略)神性に満ちて――光り輝いて神の如くにさえ見られる甦りの主が、十字架上においてだけ用い給いし「わが神」を、何故更に再びここで(ヨハネ二〇・一七)用いられ給うたかが、きびしく瞑想されなければならないでありましょう。イエス・キリストはトマスが叫んだように、今後彼自身が神とせられることを懸念なさり、ここで自らすすんで神を「わが神」と呼び、彼が神と呼ばれてならないことを、すなわち、自らを全く人の側に立たしめ、弟子たちを「兄弟たち」と呼び、共に神を拝さんとの決意を示したものと解釈してはどうでありましょうか。ここにも神とされるかも知れないということを憂えた甦りのキリスト・イエスが、率先神ならざることを示したもの、と考えてはどうでありましょうか。 (p207)

 私は図らずもイエス・キリストが神への呼びかけとして、或は又神を語る時の神について「わが神」と呼んだ特筆すべき三つの場合を見出したのであります。十字架上においての呼びかけである「わが神、わが神」には罪を贖う者としてのイエス・キリストを、そして甦りの瞬間において語られた「わが神」には神ならざる仲保者としての立場を宣言したイエス・キリストを、そして黙示録においては事実神と等しく讃美されても、神に対してはあくまでも「わが神」と呼ぶ立場を持する存在として(中略)要するに、イエス・キリストを崇拝して「神」に祭ることが、イエス・キリストの福音的行為としての十字架の福音を危くするものであって、イエス・キリストを聖書の語るままに「神の子」と告白することが、そしてその「神の子」の徹底した受肉者として――歴史の人としてイエス・キリストを理解することが、異端的一切のドケチズム思想である「キリストは神だ」を排撃して、福音の真相に辿りつかしめるものと確信するものであります。要するにイエス・キリストの語った「わが神」のなかに、福音論争としての「キリスト論」の極致と帰結とを認めることが出来ると信ぜられるのであります。 (p208~209)

ヨハネ文書の「独り子」の派遣も、いつの日かその「独り子」の地位の回復を約束されての、派遣ではなかったのでありまして、聖書の「時」と「出来事」には回帰がないのであります。これがパウロのケノシスの意味でありましょう。 (p210~211)

受肉が断絶を意味していたのに反し、歴史の人としてのイエス・キリストの、生と死、甦りとの間には、不思議に「名」による連りがあったのであります。すなわち、イエス・キリストなる名称は、甦って後も、否、昇天後においても、そのまま使用されているのでありまして、このような点に、初穂たるイエス・キリストの率先して示した、救の実情が物語られているのではありますまいか。聖書の告知する最大の秘密は「言【ロゴス】」とよばれ、神の独り子、御子とよばれて、宇宙の創造の役割を果した人格、時に「永遠の生命」「真の光」などと語られても、「名」をもっては呼ばれたことのない人格(神の子)が受肉して世に来て、はじめてキリスト・イエスという「名」をもって呼ばれたこと、そしてそのイエス・キリストは極めて特殊な人生を過し且つ終えられたということにあります。この受肉が徹底的に理解されない限り、すなわち、肉体をもった神といった間違が明らかにされない限り、福音の出来事が正しく理解されるに至らないのは当然なのではありますまいか。 (p211)

キリストは神である、といったドケチズムの流れが、代々のキリスト教会の中に浸潤し、聖書の語る神観とキリスト観を危くし、ひいては、十字架の福音を危くするものとなることを、長く気づかずに過ぎて来たのではありますまいか。ヨハネ伝一・一八にある「独り子の神」についても、全聖書の光をもってする、クリティークを怠ったために、ヨハネ伝並にヨハネ文書が当面の敵として激しく戦ったドケチズムに一部の場を譲り、(中略)主御自身、早くも御国(教会)の中に毒麦の発生を(マタイ一三・二四――)憂いたことが実現し、われ来るとき地上に信仰を見んや(ルカ一八・八)とさえ嘆き給うた、その神の子の憂が実現したものと見られるのではありますまいか。なぜなら、イエスの死後間もなく発生した異端的毒麦が、ドケチズムであったからであります。 (p211~212)

「子なる神」(ヨハネ一・一八)となすテキストに従っても、これはヨハネ伝の著者が、キリストの先在時の呼称として用いたものでありますから、受肉者のロゴス化が語られないと同様に、歴史の人イエス・キリストの「子なる神」化が語られてはならないのではありますまいか。また、三位一体の教義の告げる「子なる神」は、先在―受肉―昇天を貫いて「子なる神」としてのみ語られますために、そこには歴史がなく、ただ変化のみあって、回帰し、啓示の歴史性が失われてしまうのではありますまいか。しかも「子なる神」はイエス・キリスト御自身、ただの一度も語り給わなかった「神」であることに思い至りますならば、この「子なる神」を受肉の人イエス・キリストにあてはめることは勿論、先在時をさす呼称としても、確に問題であって、ここにテキスト・クリティークの当然介入すべき点があるのではありますまいか。聖書の神は、イエス・キリスト御自身教え給うた「天にいます父なる神」であり、「唯一のまことの神」でありまして、決して「天にいます子なる神」とよばれる「神」ではありませんでした。事実「子なる神」はキリスト教の神とは言えないのであります。 (p212)

「真に人・真に神」の思想は、キリスト教が異邦に伝えられ、異教との関連をもつようになってから、キリスト教の中に導入された思想であって、本来ヘブライ的・キリスト教的そして聖書的思想とは言えないのではありますまいか。これはだいいち聖書には見出せない思想であります。(中略)「肉体をもった神」が聖書の告知する神でない限り、そして、キリスト御自身が祈り且つ従う「神」、イエスの「わが神」とよぶ――唯一の神が在す限り、キリストは真の人であっても、真の神でないことは当然なことであります。 (p213)


(注)「真の人」と「真の神」については、傍点がズレて打たれているのでブログ主が自己判断で特定した。

十字架が「罪を贖う」福音であるということは、十字架上に於てキリスト・イエスと神との間に、きびしい断絶があったことにあります。それ故三位という表現を用いますなら、その三位の一体性が完全に打ち破られた所に福音の場がある訳であります。三位一体の教義は、十字架の福音の意義――神との断絶――を危うくする意味に於て、福音を危くする教義として、排さざるをえないのであります。福音はキリスト・イエスの光る面にあるのではありません。神との一体主張の中にあるのではありません。福音は、あくまでも、キリスト・イエスの「神との断絶」の場、エリ、エリ、レマ、サバクタニの中にあるのであります。キリスト・イエスの神格強調の中にはなく、キリスト・イエスの「受肉の人」強調の中にこそあるのであります。 (p214)

「神の子」なる呼称は先在―受肉―昇天という「時」を貫いて、ひとしく呼ばれる唯一の呼称であります。そして「神の子」が神と人との仲保者であるという重大な事柄が、ボヤケテきますと、「神の子」が、すなわちキリストが、神になり切ったり、またただの人になり切ったりする危険を生じ、その危険を逃れようとして、神であって人、人であって神、と表現され、区別出来るが分離しがたく結合した神性と人性とをもつ人格という表現さえとられるに至ったのであります。それ故、死においては神性、人性の分離が起き、ギリシャ的二元論の変形したものが現われ、贖の死のきびしい意味を失わせてしまうのであります。 (p214~215)

キリスト・イエスは「神」とか「人」とか語られるよりも、むしろ「仲保者」と語られ「神の子」と語られべきであります。そして「神の子」は、先在時においては「神」ではなく「子なる神」でもなく勿論「人」ではなく、あくまでも「神の子」であって創造の仲保者であります。そして受肉しては全き「歴史の人」でありました。ただ一般の歴史の人と異るのは彼はあくまでも「神の子」と呼ばれる人格で、常に天にて授けられた使命の記憶に生きていたからであります。(中略)そして聖書は、神にひとしい「神の子」の創造から終末に至る主体的救済活動を、その主題として語っており、しかもこの「神の子」の活動は「神がすべてにあって、すべてとなられるとき」(コリント前一五・二八)に終りを告げるものであります。すなわち、万物がキリストに帰一して、然る後に神に帰一することが、救済の完成でありますから、キリストの業の終る所がある訳であります。そこにキリストの仲保者性の限界があると言えるでありましょう。(p215)

私は、聖書の回帰することなき歴史性と、「子なる神」の非聖書性と、キリストを真に人・真に神となす三位一体の非福音性について私見を述べました  (p215)

万物のキリスト帰一と、然る後にキリストを含めての神への帰一を学びとることが出来るのでありまして、そこに、福音の完成と終末を発見出来るのではありますまいか。 (p216)

錦の御旗と化した三位一体が、教会の労作であり(バルト)、また、教会が、やむにやまれぬ必要に迫られたために、このような「三位一体」とか「ペルソナ」といった言葉を使用せざるを得なくなった(カルビン)ものだとすれば、しかも聖書テキスト上言明されておらない事柄である以上、聖書のテキスト・クリティークが、信仰的立場から、厳しくなされ得ると同時に、三位一体の教義もまた、きびしい批判の対象となってしかるべく、もし私どもキリスト者が、第四世紀の神学に縛られて――その枠内でのみ、聖書研究をしなければならないといたしますならば、そこにはもはや、研究の名に値するものが、なくなるのではありますまいか。 (p220~221)


私にとっては、福音の理解を聖書に基いて徹底いたしますならば、キリスト・イエスは神であり給わず、また、歴史の中からいで来った、ただの人でもなく、先在、受肉、死、甦、再臨、を貫く神の子として、それ故、地上のキリスト・イエスは、天にて受けた使命の記憶をもち、その実践に生きた人格として見て、はじめて、聖書の告知する神の子イエス・キリストを理解できるものと存じます。――「神の子」は、神でないからこそ、受肉し、死と甦りの出来事を、その身に提出して、救済の業を完成なさったのでありまして、――あくまでも彼の十字架の死に、福音を見るのであります。すなわち、肉体をもった所の「神」ならざる人格にのみ「十字架の福音」があり得るからであります。 (p222)

キリスト教に於ける最大問題は、恐らくキリスト論であり、それに次ぐものは神観でありましょう。キリスト教に於ては、神観に至る道としてキリスト論を経由しなければなりません。ここにもキリスト論が仲保となっていることに気がつくのであります。実際にキリスト論なしの神観というものは、キリスト教にはないのであります。しかも神観に至るべきキリスト論は、キリスト教にとって最大問題であるとともに、異教と明瞭に分つ所の極めて重大な問題であります。それ故聖書神学もキリスト論に結集して論及され、それが福音信仰のバックボーンとならねばならないのであります。いわば福音的キリスト論の確立こそ必要であります。このような観点から考察しますに、現代までのキリスト教会に福音的キリスト論が、聖書の語る深さに於て論究しつくされていたかは、甚だ疑問であります。なぜなら重大なキリスト論については、四世紀神学にまかせきったきらいがあり、これを批判の余地ないものとしてしまったかに考えられるふしがあるからであります(勿論神学的な発展はあったことでしょうが)。神学は変ってもよくあります。しかし聖書の真理は常に深く湛えられているものでありますから、いつも目を覚まして、これを汲みとるよう努力しなければならないのであります。 (p222~223) 


『キリスト論・ドイツの旅』(紀伊國屋書店)より

なにしろ、辛うじて信仰生活を続けてきたという私の体験から、キリスト教徒を「断崖に立つ者」と表現し、キリスト教を愛と平和と道義の宗教となす意見に反対し、むしろ、キリスト教は信仰者の心に焦燥と波瀾とをおこすものとして「キリスト教的焦燥」を主張してきました。真実を求めては躓き、キリスト教徒の内なる生活を洞察しては「悲を知る者」――すなわち、真の人間の悲しみというものを知って悲しむ者――として捉えてきました。そして、そのような表題の著書も数冊出版致しました。しかし、謹呈しました牧師さんから「彼のキリスト教には救がない、恐ろしいキリスト教で福音とはいえない」と、投書されたり致しました。 (pii~iii)

少年の頃聖書の中心が「十字架の福音」であると教えられ自らもそうだ確信して以来、キリスト教をして真にキリスト教たらしめているものが多核的でないことを知りました。そして四十才を過ぎてから、聖書のしめす中核である「十字架の福音」に立って聖書を見直し、まず聖書の中心と周辺とを識別するとともに、次第に聖書の神と、聖書のキリストとがキリスト教会の教える信条の神や、信条のキリストと、どうしても一致しないものであることを見い出しました。そして、教会には、キリストと神について、是が非でもというように定めたタブー的なものが支配していることに気がついたのであります。 (piii)

キリスト教がキリストを信ずる宗教であり、キリストの啓示した神を信ずる宗教である以上、キリスト教にとってキリストと神とが明らかでなければならない筈であります。もし、それが明らかでなければ、それこそ大変な問題となりましょう。すなわち、もし、キリスト教会が、キリスト教にとって唯一の文献であり、聖典である新約聖書に明記していないようなキリストとを信ぜしめようとしているのであれば、それはほんとうに、大問題であるといわねばなりません。信者達は教会がお膳立した通りに信ずれば、それでよいではないか、というのであれば聖書を退けて、信条のみを唱和させればよいでありましょう。 (piv)

聖書とても、天から降ってきた奇蹟の書物ではありません。(中略)聖書とても、そのまま「聖なるもの」ではありません。それ故、宝物扱いはできないのであります。しかし、聖書が指さし示しているのはキリストであって、聖書の中心にはキリストが立っているのであります。聖書の中心がキリストであるからこそ「聖なる書」といわれるのであります。なぜなら、そこには、キリストにおいて、神の聖なる救済の音ずれが語られ、示されているからであります。このように考えますと、キリスト論は聖書から生まれて、しかも、聖書の真価を定めるものといえましょう。すなわち、聖書のしめすキリストの「十字架の福音」の光で照らし出されて、その使命を確認されるものであります。ここに、聖書をキリスト論的に読む必要が生ずるのであります。 (piv)

私は一キリスト教徒として、長い間教会生活を続け、聖書を学んできましたが、キリスト論をとり上げて以来、私自身の眼で読み、私自身の心で考えた聖書は、いわば、多年キリスト教のタブーとなってきた信条について、幾多の疑問を持たしめ、遂にキリスト教伝来の、いくつかの信条を否定することとなりました(第十章)。これは、確かに重大な問題だと存じます。もちろん、これが聖書から見て、誤っておれば、私は潔く改めも致しましょう。しかし、もし私の主張が聖書本来の思想と一致するのであれば、日本キリスト教界は、聖書をとるか、教会信条を固執するか、そのいずれかを執らざるを得なくなることと存じます。この意味において、たとえ、質疑の形で提出されてある問題でも、現下のキリスト教界に広く決断を求めるものであることは言うまでもないことであります。このような点に本書の重点があるものといえましょう。 (pv)

唯一の神は、父・子・聖霊なる三位にして一体の神と語られるようになりました。しかし、このような無理な表現で説明される三一神論は、たしかに、聖書にはなく、それは、あくまでもキリスト教会の所産であり、労作でありましたが、また同時に、それは教会の苦悶の産物ともいうべきものでありました。(中略)キリスト教会は、父と呼ぶ唯一の神を残置しつつ、子と呼ばれるキリストに神性を賦与して天に挙げ、神の右に置き、これを二位格の神とし、更に昇天したキリストと信者の群とを結ぶ交わりの力として、キリストよりくる聖霊(助主)を、等しく神格をもつ三位格の神となし、その上でこの三位の神の一体性を主張したわけであります。もちろん、このような三位一体の神という言葉は、聖書の中にはありません。たとえ聖書は、父と子と聖霊とを語っても、三位一体論のいうような意味で、それが一体だとは語っていないのであります。 (p5)

実は、キリスト論というものは、キリスト教の当初から出現したものであります。極論すれば、キリスト教はキリスト論から始まったものといってもよいのでありまして、新約聖書自身のなかに、すでにそれは論争の形でしるされており、あの迫害の時代においてさえ、キリスト論・論争は活発に戦わされていたのであります。それが、キリスト教の公認とともに、忽ち、表面に強く飛び出してきたのであります。そして、その後、キリスト教史の上では、キリスト論は、三位一体との関係で論ぜられ、三位一体がひとたび、正統的なものと定められてからは、異説をすべて異端として非難・排撃し、いわゆる異端に対する激しい憎悪と、その処罰の残酷さは、キリスト教史に多くの汚点を残してきたものであります。 (p5~6)

日本YMCAのように、そのメンバーの僅か一割か二割位しかキリスト者がいないという団体において、すなわち、それだけに、特に、心して宣教をしなければならないという団体において、パリー標準をそのままYMCA目的条文に採用し、「キリストを神とする」ことが「聖書にもとづいてなされる」というのであれば、これはたしかに問題であります。なぜなら、そこには、聖者を「神」に祭るという異教の神日本的神があっても、聖書本来の神はないからであります。これを、聖書にもとづく神観や、聖書にもとづくキリスト論と対比致しますならば、その誤りは明らかになりましょう。聖書が語る創造者・唯一の神は、キリスト自身ではないからであります。唯一の神――キリストが父と呼んで祈った神――以外に、キリストなる神があるというのでは、それは多神教となり、もはやキリスト教とはいえないでありましょう。 (p8)

贖罪宗教としての十字架の福音を徹底的に理解するためには――十字架上で死なれたキリストが神であってはならないのであります。それゆえ、私には、YMCAの目的条文は、福音の内実を破る結果となり、福音を危くするものと考えられたのであります。それで、私は、これを手がかりとして広くキリスト論を展開することに決心したのであります。 (p8~9)

キリストを知り、かつ、信ずるためには、唯一の文献である新約聖書によらねばなりません。それゆえ、必然に、聖書に基づいたキリスト論が重大な意義をもつことになるのであります。しかし聖書の中核に「十字架の福音」の出来事をみる以上、どうしても十字架の福音から見たキリスト論が必要となるわけであります。それゆえ、私の意見というよりは、むしろ、聖書証言を主として――特に、十字架の福音に立って――キリスト論を展開したという点に、この論議の特質があるのであります。 (p9)

この著書はキリスト教伝承の中のタブー化しているキリスト論について発言するきっかけを作り、多くの真実なキリスト者が、聖書に基づくキリスト論について、自由に、恐れなく論じて、聖書の語るキリストの真実に肉迫し、より多く福音の富を、そして、より多く神の恩恵を見出し、感謝を共に致したいという念願にかられてここに出版を決意いたしたものであります。 (p9)

私のキリスト論は、神道思想に着色されたものではなく、あくまでも、キリスト教をキリスト教たらしめている福音理解のためのものであり、そのためには当然、福音の書である新約聖書の示すところに従って、忠実に、キリストを理解すべきであり、また、こうした立脚点に立ってこそ、信条は批判さるべきであって、信条が聖書を規定すべきではなく、常に聖書こそ信条を批判し、監督すべきであるとの主張を認めて頂きたかったのであります。
 (p39)

「臨終に生きるが如く生きよ」という誰かの言葉は、時と所によっては、じーんと胸に応えます。人は誰でも、臨終の気配を感ずるときは、必ず追憶と同時に、いわば聖なる決意をもつものであります。その意味において、「臨終のスタイル」に遭うことは、人にとってよい事であります。 (p41)

私は、私を十字架の主より離れさせるという最大の試みが、かえって、倫理的なものであって、サタンはいわばこのような人間にとって尊いものを利用し、私を十字架から離脱せしめて、亡びに導こうとするものであることを知ったのであります。私はここに、大いなるサタンの業を発見し、じつは、心から驚いてしまったのであります。 キリスト教は倫理的宗教であります。それは、最も大切なことでありましょう。しかし一般の他の宗教のように、それがすべてではありません。いな、時には、それが、真の福音を危うくするものであるということに気がつくのであります。人が倫理的な実力者となることは、十字架の福音からは危いことであります。聖パウロさえも、彼自身罪人の首【かしら】であるという体験をもたなかったら、真の福音の使徒とはなれなかったでありましょう。私は、真のおそるべきサタンの試みこそは、実は人間にとって最も尊く思われる倫理を手段とするものであることに、気がついたのであります。これは、意外な心霊の経験でありました。しかし、このように申しましても、私は決して倫理の否定者となったわけではありません。もし、キリスト教に、真の福音的倫理というものがあるならば、それは当然、十字架の下における倫理でなければなりません。すなわち、それは、いかなるよき業をなしても――あたかも、為さざるにひとしく――それでもって救われるとは、決して思わぬという倫理でなければなりません。要するに、限りなくよき業にはげみ、しかも、それがいかに成功をおさめても、彼が罪人であることを決して忘れさせないということでなければなりません。いな、彼は、善き業を為しつつある時でさえも「罪人」にほかなりません。それゆえ、人の「善行」さえ、それは「罪」とひとしく贖わるべきであります。人には、主の贖の外に立つ何ものも存在しないからであります。要するに、それがいかに善行でも人の善行には罪の香がしみこんでいて、善行と呼ばれる「罪」があるとも、いえるからであります。主の十字架は人の「罪」の贖であり、また、人の「善行」の贖でもあります。すなわち、全人間の贖であることを知らねばなりません。 (p50)

人はみずから立派になったとの自覚において救が与えられるのではなく、むしろ、みずからの罪を示され、罪を自覚して、キリストの十字架以外に救のないという秘義を悟ったとき、そこに、はじめて真の救を見出すのであります。これはパウロにより「人の救われるのは律法の行為によるのではなく、ただ信仰によるのである」と主張された所でありまして、それはまた、お国の生んだルターのひとしく叫んだ所であります。すなわち、キリスト教の福音の中核は、人間の側に救に与る資格を見ないということでありまして、救とは神から来る絶対恩恵にほかならないということが「十字架の福音」の意味するところのものであると思います。 (p56)

神の御光【みひかり】の前に立つ者は、みずからが、ただ、罪人の一人であるということではなく、その罪人の中でも首【かしら】に位する者であることを示され、そこにおのずから福音の恩恵を知り、隣人に対しては謙虚な者となるのであります。福音が人間に及ぼす影響は、謙虚さであります。謙虚ならざる者は、福音の光に打たれている人とはいえないでありましょう。要するに、宣教師であれ、一般キリスト教徒であれ、彼が人々より尊敬されるような人格者であればあるほど、その人格が救の資格となっているかのような印象を人々に与えてはならないのであります。そしてまた、他人が、彼をどのように賞賛しても、彼自身としては彼の人格が福音を信じての結果であるかのような印象を与えてはいけないのであります。 (p56)

実人生は複雑であります。人は信仰生活に入ってからは、たとえ、神の前には罪人であっても、人の前には罪人であってはならないという責任感にも似たものを感ずるものであります。そこに二つの力、福音と倫理(律法)が内部で争うことになります。しかし、このような戦が心の中にあってこそ、キリスト者は、福音を日毎に実感して生きることができるのであります。そしてまた、福音は、私共を福音より遠ざけ、亡びに導く力が、人の心に美しく見える倫理的なものであるということに気付かしめ、戒心せしめるのであります。不幸なことに、美しい性格をもった、いわゆる、立派な人格者であるキリスト教徒ほど――福音から見てーー危険なものはないということであります。 私はこの機会に、福音宣教のためにアフリカやアジアに赴かれる牧師さんたちに、先ず、このような点に充分に注意して頂きたいと存じます。福音は常に倫理に勝ります。倫理において不可能なことを福音が可能にするのであります。イエスは言われました「人のなし得ぬところは、神のなし得るところなり」と。 (p56~57)

一切のものは神の審の前に立たねばなりません。神はあなどるべきではありません。人間は誰しも罪深いものです。自分の努力で救われる人は唯の一人もありません。キリストの十字架以外に救われる人は一人もありません。神のみ審を脱れ、救われた者として神のみ国に入るためには、キリストの十字架の血潮で罪が赦されねばなりません。これこそ二千年の歴史を貫いて真実な魂が叫び続けてきたところです。これが福音です。これがキリスト教なのです。あなたとの友情も決して三十年で終りません。あなたは神の御国で再び相逢う日のあることを望まれませんか。キリストの救により私達の友情を永遠のものたらしめようとなさいませんか」と。(中略)私は思わず「中山さん、その最後の壁を打ち破りなさい、そうすれば神の光に浴することができます」と叫びました。するとそのとき、私は聖なる神のみ手が中山さんの全存在を打ったかに見えました。そして、中山さんと神をへだてていた壁が、ガラガラと音をたてて破れるように思われました。そして、私は「いま、ここに神在す」と全身に鳥肌が立ち、烈しい、戦慄におそわれました。(中略)思いがけないこの言葉に、私は驚き喜び、彼の手をとって祈りました。そのとき、神様は近くにいましたまいました。長い感謝の祈の後、キリスト・イエスの名により祈を捧げました所、彼は大きな声で「アーメン」と和しました。 (中略)三十年の歳月、神と戦った魂は、今いさぎよく神に破れました。神に敗れて、彼は人間の宿命に勝ったのです。 (p72~73)

私はおそるおそる解剖教室に参り、多くの学友と共に勇を鼓して、解剖を始めたのであります。そして、その時から幾日かたちました。私は次第に人間の肉体が如何に素晴らしくできているかに驚くようになりました。そして、ますます神の創造の御手を実感するようになりました。やがて私は旧約聖書が、神がその姿に似せて人を造り給うたという、あのイマゴ・デイ(神の似像)を心から然りと素直に信ずることができるようになりました。私は冷厳な解剖教室の中で幾度となく、メスの手を止め、静かに祈らざるを得ませんでした。そこには大いなる方が黙して在ましたからであります。人は死ぬ、しかし、人は神に象どり造られたもの、人こそは神に属すべきものであると感じ、医学に対し、一段と勇気と情熱とをもつようになったのであります。 私は父の望むように一人の医師となり、医療に力をつくすと共に、一人の平信徒伝道者たる仕事をも続けているのであります。 (p78)

一人格の中で、科学と宗教 ― 学問と信仰がしっかり手を握って、お互にはげましあうこともあるということを、お考え頂きたいと存じます。私共はお互に死を以て終らぬ人間存在を、聖書の中に見出すべきであると思います。 (p78~79)

私はかつて、浄土真宗の本山の秘密の箱の中に、中国語で書かれた聖書の一部があるというようなことを書物で読んだことがあります。その真偽はもちろんたしかめることはできません。しかし、そのようことが話題になりそうに思われる程、キリスト教に似ているのであります。浄土真宗は罪人、悪人の救を強調いたします。そして、弥陀の本願とはまさにこのようなものであるというのであります。(中略)このような教義からは、人の救については必然に、救われる者の側に、救の資格や条件を設定しないのであります。これはキリスト教の福音に極めて似た点であります。しかし、それでも、キリスト教とは明らかに差があります。キリスト教で救と共にとり上げられるのは「義」と「審【さばき】」であります。すなわち、キリスト教においては罪が赦され、義とされ、聖化されて救われるのでありまして、その背後には弥陀の本願とはちがう「神の正義」が貫かれているのであります。この神の義と審きがあってこそ、キリスト・イエスの十字架が福音となるのであります。それゆえ、私は日本で宣教する際、仏教との差異については、常にこの点に注意して、十字架の福音を宣べ伝えているものであります。 (p91~92)

私は、キリスト・イエスの十字架の死が、私の罪の贖の為であり、私の救であると固く信じている。このように信じて、キリストの十字架の死を思う時、私は、自分の死が平安であるようにと願うことが出来ない。病者の平安な死を望んでも、私自身に関しては、そのようには望めない。人生ただ一度きりの死の時――ただ一度の死の機会を、私は逃すわけにはゆかない。私は死の時こそ『贖の死』という、いかなる人も経験できない、最もきびしい『死の苦痛』を味わいつくし給うたイエス・キリストに心から感謝し、主を讃美できる時だと信ずる。そんな得難いチャンスを見逃すわけにはゆかない。私は死を待つ!そして、それが主に感謝し、主を讃美出来る最もよき機会として、勇気と、むしろ希望とをもって死に対決したいものである (中略)私共の人生には繰返しがありません。人生の最後が死であり、そして、その死を人々は恐れます。しかし、その死の時が、主に感謝出来る最上の時であることを忘れてはならないと思うのであります。私共はこの様な「死」を死んでこそ、主と共に甦える喜びに召されるものと信ずるのであります。 (p93~94)

聖書を尊ぶということは、ただ、これを宝物扱いすることではないと思います。なにしろ、日本は、世界の神学思想をうけ入れ、それぞれ、すぐれた神学者を輩出しております。それゆえ、一面において、聖書のクリティークは果敢にいたしますが、その中心であるハイルス・ゲシェーエン(救済のできごと)としてのケーリュグマにこそ福音のあることを固く信じ、この福音を宣教することに努力いたしております。すなわち、日本では聖書は常に真剣に学ばれており、聖書をもって伝道しているというのが実情であります。 (p98)

なにしろ、全学連が勇ましく戦い、デモが頻発し、キリスト教会すら華々しいデモ行進をしたという報道をみれば、いまにも日本には、共産革命がぼっぱつするかのように思われ、それ! 宣教師を派遣せよ、というような意見が出たり、また、それに便乗する宣教師もいないわけでもありません。 (p99)

私は、教会へ教会へと集ってくる多くの人々を見ながら、ドイツ人は皆キリスト教徒なのかといぶかり、ドイツには最早や福音を伝道し宣教する余地がないのであろうか、すなわち、伝道が不必要な程にドイツの人々は皆キリスト教徒なのか、といぶかしく思ったほどでありました。しかし、その時私はふと、イエスご自身の語った、不思議な言葉につき当らざるを得ませんでした。イエスはルカ伝十八章八節(文語訳)に「されど人の子の来たる時地上に信仰を見んや」という不思議な言葉を語っておられます。ある人々はいうかもしれません。「ドイツを見ただけでも多くの教会が建っており、その中には多くの信仰者が満ちている。それ故『われ来たる時地上に信仰を見んや』と嘆かれた神の子イエス・キリストの言葉は、いわば杞憂にすぎなかった」と。しかし、はたして、そう言えるでありましょうか。むしろイエスは、信仰者のあふれているように見える、教会に対してさえも、なお、この言葉を語り続けているのではありますまいか。例えば同じルカ伝の中に(一七・五~六)イエスの直弟子達が、私どもの信仰を増し給え、と願った時に、イエスは「芥子種一粒程の信仰あらば・・・」とおおせになり、自ら信仰ありと自負する直弟子にして、あたかも、芥子種一粒程の信仰すらもないのではないかと警告を与えておられることに注目すべきであります。「信仰というのはあるように見えても、ないものである」ということは、しばしば、私自身のうける警告なのであります。 (p112)

私がドイツに参りまして、聞きましたのは、「若い教会」という言葉であります。これは、主としてアジア・アフリカの諸教会を指して用いられている言葉のようであります。(中略)しかし、私は、そのような言葉の語られている反面の、いわば「古い教会」、欧州の教会について、古過ぎる教会ではなかろうかとの感じを持ったのであります。(中略)しかしながら、福音はあく迄も現在の我々に対して問いかける新鮮な言葉でありまして、福音とは決して過去の追憶に生きるもの――過去を記念するもの――ではないのであります。もちろん、問題は、古いか新しいかにあるのではありません。福音が生きているか、否かにあるのであります。なぜなら、イエスは、後なる者は先なるべしと教え、古きに安んずること――歴史を誇ること――の危険を教え警めているからであります。私は、その昔、世俗的文化と結合し、人々を威圧するような大建築を建てて、宗教の威力を誇示した古い大教会の中にあって、今なお、昔ながらの古めかしい考え方や伝統的礼典に安住しているのが、もし欧州のキリスト教であるならば、恐らく激しい警告を聖書の中から学ぶべきであると思うのであります。すなわち、キリスト教が迫害の時代より解放されて実力をもつようになり、世俗の力や、文化と手を握るに至ってから堕落が始まり、キリスト教の純度を汚すようになったことを、私どもは、しばしば歴史に証明し得るからであります。 (p113)

戦後、日本の天皇が自ら「神」であることを否定して「人間」であることを宣言したという、あの報道について(中略)私は、あの言葉ほど馬鹿馬鹿しい言葉はないと思っております。だいいち、天皇の人間宣言というようなことは、戦後の日本が余儀なくなれた一つの対外的ジェスチャーに他ならなかったからであります。このように申しますのは、日本の天皇で「私は人間でなく神だ」と宣言した天皇はただの一人も居なかったからであります。たとえ、明治天皇にしても、ご自分を神として、あるいは、また、神の如くに宣言したことは一度もなかったのであります。日本が明治の新しい時代を迎えたとき、日本は、天皇中心に国家的団結を強化して、新興国家を建設したのであります。そして、それ以来、ある右翼の思想家は天皇を「あらひと神」(現人神)――まことの人にして、まことの神――と表現し、民族主義精神を鼓吹して、人心の統一に役立たしめ、西欧の東漸勢力に対決してきたのであります。それは、決して、天皇が自らを「神」として宣言したということではないのであります。 古くから、日本人一般は誰でも、自分達は神々の子孫であると考えており、死ねば神となり、祖先の神々の仲間入りをして、子孫によって祭られるものとの思想を持っていたのであります。それとても、漠然とした習慣的な思想にほかなりませんでした。しかしながら、このような「神」の思想はキリスト教で語る神(Gott,God)の思想や異教の神々(Gotter, gods)の思想とは全く異っていたのであります。(中略)国家に勲功のあった戦死者が、「神」として、靖国神社に祭られることは、それゆえ、当然なことなのであります。しかし、ヨーロッパの人々が、そのような日本人の思想を考える時に、日本人の用いる神がゴットと考えますと、非常な誤りを犯すことになるのであります。日本の神という言葉には、上と下とを示す「上【かみ】」という言葉と深い関連をもっております。(中略)天皇が「神」であるという時、Gottという理解よりは、日本民族の一番「上」にいます方、すなわち、かみにいます方という意味に考えるべきであります。それでも、日本においては、「神」という言葉は軽卒に用いてはいないのであります。なぜなら、神は一応西欧のゴット(ゴッド)の訳になっているからであります。しかし、ここに誤解の源泉があるわけであります。要するに戦後において、天皇が自ら「神」たる資格を否定して人間宣言をした、というようなことを、神をそのままGottと解するならとんでもないことなのであります。 (p116~117)

内村先生の無教会主義の中心は「十字架の福音」でありました。すなわち「十字架の贖い」の中に、神の絶対恩恵を見るということであります。 そして、私もまた、イエス・キリストの十字架の贖いの中に、キリスト教を真にキリスト教たらしめている福音を認め――聖書の中心もまた、そこにあることを確信しているのであります。 すなわち、イエス・キリストの十字架の死が、人間の誰にも見られる「死」――人間一般の「生物学的死」――とは違うということ、そしてまた、歴史上に見られた殉教者達の十字架の「死」とも全く異るということ、イエスの死は、あくまでも、神に対して人類を贖うという「贖いの死」であったということに思いを徹したのであります。その死が「贖いの死」であればこそ、十字架上から叫ばれた「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」という言葉が「贖罪」死を死なんとする「贖罪者」の実存心情を示す言葉として、私共の魂をうつのであります。そして、そこにおいてのみ、贖罪を承認する者(神)と「贖罪」を全うした者(イエス・キリスト)との間の厳しい関わりあいを、垣間見ることができるのではありますまいか。私は、この叫びなかに「贖罪」ということが、いかに厳しい事件であったかとの意味を悟らずにはおれないのであります。私は、このような贖罪の死の厳しさを考える時、カルケドンが語るように、「キリストは神だ」と語り、キリストがもし神なら死ぬ筈はないではないか、神であれば、死んだように見せかけても、人のように死ぬ筈はないではないか、との理由から「神なるキリストの死」は真実の死ではなかった、それは一種の「神の芝居」であった、というような主張が、生まれてくるならば、それは実に大問題といわねばならないと思います。すなわち、彼を「真の神」と為すことによって、かえって、彼の「十字架の死」の真実性を否定することとなり、ここに、ケーリュグマ(福音)が破壊されるという、恐るべき結果が生ずることになるのであります。これは聖書が「神の子」となすキリストを「神」と変更した信条の誤りであります。そして、この点を問題点として私のキリスト論は始まったのであります。 (p121~122)

新約聖書の福音書は、ドケティズムの介入を許さないほど、イエス・キリストを真実の人として描いているのであります。そこには、彼の誕生が語られ、その誕生には系図までが付け加えられているのであります。彼は真の一人の人として生まれ、育ち、公の生涯に入り、そして死んで一個の死体とまでなって墓場に葬られたという、そのたんたんたる人間イエスの歴史的叙述は――たとえ、それがそのまま史実でなくても、その歴史性の主張には、いかなるドケティズムも介入し得ない「神」ならざる「人間の子」、「人の子」が示されているのであります。それとともに、その歴史の人が死人の中から甦えり、神的存在者として、使徒達及び初代キリスト教徒達を導いたということも、また、語られているのであります。しかし、決して歴史の人イエスが死んで甦えった後に「神」になったと証言しているのではありません。甦えったのちも、あくまでも「人」として、しかも、人としては、初穂的な神的人格として活躍されたことをしるしているのであります。(中略)「贖罪の死」が、常に、いっしょに、語られる「甦えりの主」であるという点に、歴史から遊離しないイエス・キリストの人格の秘義があるものというべきであります。 (p122~123)

聖書は、更に、この甦えりの主は――実は地上の生涯の前に先在していた人格であったーーと、このように証言して、われわれに一つの「天上の物語」を示しているのであります。そして、イエスは先在物語の中ではイエスとかキリストとかと名をもって呼ばれてはおりません。それは当然なことですが、釈義上重要なことであります。先在はイエスでもキリストでもなかったのであります。先在時は、ただ、「子」、「ロゴス」あるいは「神の独子」と呼ばれていて、「神と被造物との仲保者」であったといわれます。(中略)ここに「神の子」なる人格のもつ、一連の不思議な「時」の経過が語られているのであります。すなわち、それは、先在―受肉―死―甦えり―昇天―再臨であります。この一連の「時」の経過の中で、ドケティズムをあく迄も排除するものは「受肉」であり「死」であります。とくに受肉の思想は著るしく ドケティズムを排除致します。それと同時に、その特殊な人格は「神の子」と語っても「神」とは語らないところにあるのであります。(中略)受肉したのは「神の子」であっても「神」ではないのであります。ここにおいて、われわれは、聖書が「神」とは言わずに「神の子」と語っている神的な人格(イエス・キリスト)を信ずるのでなければ、新約聖書の語る福音を正しく理解し、正しく信ずることはできないと思うのであります。 (p123~124)

まず私は、創造の朝【あした】に、「創造の主」と呼ばれる神ご自身が、創造の業をすら委ねたまいし者(創造の仲保者)のあるという聖書証言に注目せしめられるのであります。それはコロサイ書、ヘブル書、ヨハネ伝が、主張しているところであります。また、神ご自身が人類を救うということは新・旧約聖書を通して語られていることでありますが、その救の業をすら委ねたまいし者(救済の仲保者)があって、それは「神の子」と呼ばれているイエス・キリストであります。それですから、私どもは「イエス・キリストは救主である」と告白するのであります。しかも、その救済は、あく迄も、具体的な歴史的事件として、すなわち、人間の歴史の側で行われた一つの事件として示されているという点に注目しなければならないのであります。 (p124)

聖書の根本思想からは、そして、イエスの思想からは、神は人間にとって知るべからざる、見ることも、み声を聞くことも許されていない存在であります。それ故、神は啓示されなければ人々に信ぜられ理解されるに至らないのであります。ここに、神の啓示者としての「神の子」、仲保者、イエス・キリストの「使命」があったのであります。(中略)彼は、受肉して、イエス・キリストとして、人間の歴史に現われてはじめて人に見られ、聞かれ、信ぜられ、そして「神」を啓示したのであります。(中略)受肉してイエス・キリストと呼ばれた人格が、神ご自身の啓示の極みなのであります。(中略)新約聖書がキリスト・イエスを、聖書的神と表現することのできなかった重大な理由は、彼が多くの人々と接触した歴史の人であった、ということと、彼が死んだという事実にあったのであります。しかも、キリスト教のケーリュグマの最初の重大な点は、イエス・キリストなる人格が死んで死人となって墓に葬られたというところにはじまるのであります。かかる死(贖いの死)の出来事、救済の出来事は、イエスを神と呼ぶことによって、崩れ、彼を真の人――(受肉者なる真の人)と認めることによって生きるのでありまして、それでなければ、甦りとによって示されるケーリュグマは意味をなさなくなるのであります。それ故、キリストを神と告白した四世紀の神学が、果して、聖書のテキストに忠実であったかどうか、そして、それはキリストご自身の言葉に正しく一致していたかどうかは、常に厳しく反省しなくてはならないと思います。キリスト教にとって、ケーリュグマが中心的な真理であるならば、ケーリュグマを破壊するような思想が常に福音の敵として警戒されねばならないということは当然のことだと思います。このように考えますならば、第四世紀において、ケーリュグマを危うくしつつーーしかも異教的な思想との関連のもとに形成された三位一体の思想の如きは問題であります。 (p125~126)